お客さんが帰った後に茶室に残される人は、茶会の亭主だけではありません。学校の先生も、生徒が帰る時には、生徒が帰ったあとの教室に残されることになります。そこで、客が帰った茶室に残る亭主と、生徒が帰宅した教室に残った教師とを比べてみたいと思います。
来る日も来る日も、子どもの帰った机を見ながら、その日の会話を思い出す作業を続けていたと新卒教員時代を回想するのは、教育技術法則化運動(TOSSの前身)を創始した向山洋一氏です。その修行をつづけて、子どもたちの発言がくっきりと思い出せるようになってきた時のことを次のように述べおられます。
「その時の子どもの表情もまわりにいる子の表情も見えるようになってきた。それは思い浮かぶのではなく、向こうからおしよせてくるのだった。鮮明に像が浮かびあがり、それと関連した場面が次々と浮かび、そして全体の姿がくっきりと映し出されるのであった」(『教師修行十年』明治図書)
釜の前に向かった直弼の前にも先ほどまで、席についていた一人一人の客の姿が浮かんでいたことと思われます。大寄せ茶会が一般化していない直弼の時代、客の数といっても5人が限度、学級の生徒の数とはくらべものになりません。
すぐれた教師が、生徒一人一人に十分に教育内容を伝えて満足させられたかと反省するように、すぐれた亭主は、客の一人一人に今回の茶会の趣旨を伝えて満足させられたかと反省します。これは、プレゼンを終えた後に、参加者一人一人の顔を思い浮かべて、自分の説明に納得してもらえたかと優れたビジネスパーソンが反省するのと同じです。
茶会では、正客以外、発言の機会が限られているので、一人一人が発した言葉というよりも、態度からそれを推測するという作業を直弼は行っていたのではないでしょうか。
藩主、さらに大老となれば、面と向かって、不満を表明する人はいません。面従背反という言葉が示す通りです。しかし直弼は井伊家の十四男として生まれ、一生を部屋住で終える覚悟をして、屋敷を「埋木舎」と名付けた人物です。自身が裸の王様になる危険性については、十分に気が付いていたはずです。
普段から、周囲の態度から真意を見極めるという配慮があったものとしてみましょう。すると、挙措動作が厳格に定められていた御殿で対面する場面と比べれば、行動に自由度が高い茶席の中の動きからの方が真意を読み取りやすかったということもいえそうです。
直弼流の反省方法は、裸の王様になりやすい、トップや役員が身に付けなければいけない心得ともいえるでしょう。
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