和歌山県は江戸時代、徳川御三家の一つ「紀州徳川家」が置かれ、全国有数の大都市として栄えた。しかし、1980年代から県庁所在地の和歌山市で中心市街地の衰退が見られるようになった。県内人口が最も多かったのは85年の108万7000人。その後じりじりと減少し、2015年に100万人を割った。県は30年後の2055年には、57万2000人まで減少すると試算する。
隣接する大阪の影に隠れて目立たなくなり、いつしか県民自ら「近畿のオマケ」と自虐的に呼ぶようになった。最初に広めたのは、和歌山県を中心に活動する音楽バンド、ウインズが1986年に発表した「キンキのおまけ」という曲だとされる。
「みかんの国和歌山 だけど愛媛にゃちょと負ける」「東京で和歌山と言えば 四国かと聞かれた」――。自虐的な歌詞がくすりと笑いを誘う。
和歌山県の仁坂吉伸知事は2009年7月に県公式Webサイトに公開した「知事からのメッセージ」で「心優しい和歌山人は、苦しい時、不愉快な時、時々自らを卑下して、冗談ぽく自虐してみせるのです。しかし、栄光の和歌山が本当にオマケではたまりません」と書き、奮闘を誓ったのだった。
一度、輝きを失ったかに見えた和歌山はいま、白浜町を中心に「ITの聖地」「ワーケーションの聖地」といった評判を呼び、旅の満足度でも全国1位に輝くなど、息を吹き返しつつある。定住人口の増加は困難でも、「関係人口」という新たな指標に着目し、企業や自治体が一丸となって進めてきた地道な取り組みの数々が、「近畿のオマケ」との呼び名を過去のものにしている。
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