マスク氏のパーソナリティーに関して、いったん傍におくとして、では彼が言うような、自由闊達で異なる信条を持つ人たちが安心して議論でき、かつウソがまん延する地獄には決してならないネット上の広場を、収益性も求められる企業が作り出すことは可能なのだろうか。
例えばGoogleは、自社の検索システムが「公平で公益性のある設計になっている」と主張するだろう。Googleは常に自分たちが中立性のある、誰の味方でもない立ち位置にいると主張するが、そこに疑問を感じる人はいるはずだ。
他のソーシャルネットワークはどうだろう。そのシステムに巨額を支払う広告主、あるいは成熟した後のSNS全体を買収する企業などの影を感じるものは少なくないはずだ。
マスク氏の発言を額面通りに受け取るなら、彼はあらゆる参加者がフラットな言論の場であるように見えて、実は悪平等な場にもなりうるTwitterに秩序をもたらしたいと考えているのかもしれない。
普段は発言力のないユーザーが、ある日のツイート一つで注目され、多くの人に発言を評価され、フォロワーを獲得することもあるのがTwitterの良さでもあると捉えられてきた。
実社会では発言者が残してきた足跡、あるいは現在の役職や立場などが重視され、発言が届く範囲にも自然と制約が生まれるものだが、そうした垣根を一気に飛び越えられる、飛び越えやすいのがTwitterだ。
しかし、それは本来広がるはずがない、自然に黙殺されるべき情報が拡散する可能性も秘めている。
もし現実社会に近い、発言者の信頼性と発言力の関係性を作れるならば、それは理想だろう。現実には難しいだろうが。
「だからこそ私が!」とマスク氏は言い始めたのだろうが、早晩、ビジネスモデルと理想とするSNSのギャップに悩まされることになるだろう。
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