豊田章男社長を取材し続けた筆者が思う、退任の本当の理由池田直渡「週刊モータージャーナル」(4/6 ページ)

» 2023年01月30日 08時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

今回の人事の本質は

 さて、長々と説明してきたのは、今回の人事の本質はどこにあるのか、筆者の主観が入ることは避けられないにしても、それを明らかにしたいからだ。それらの情報はどうやって手元に来たのかを書いておかなければ、読み手が信じる、信じないかの判断ができない。ここまでの話に信ぴょう性を感じるかどうかであなたがそれを決めるのだ。

 豊田社長の体制は、そもそもがアゲインストからスタートした。役員時代も副社長時代も、反創業家勢力はいたし、そういう勢力に豊田章男氏は散々足を引っ張られてきた。1人だけ情報を伏せられて、公式発表時に知らないのは自分1人ということすら頻発していたらしい。

 だからそういう中で、豊田社長はある種の“親衛隊”を組織した。豊田氏がトヨタに入社した時の上司であって、豊田氏に対するお目付け役と防波堤を兼務する、現“番頭”の小林耕士氏、そして直属の部下として実務を担ってきた現エグゼクティブフェローの友山茂樹氏である。日々裏切りを警戒するしかない中で成果を挙げるには直属部隊を組織するしか方法がなかった。

 時期的には多少前後するが、改革を進めようとした時、当時のトヨタの評価ドライバーのトップであった成瀬弘氏から、手厳しい批判を受けた。「クルマの分からないヤツに口出しされたくない」。エンジニアではない豊田氏は、経歴上、当然メカニズムに詳しくない。そこで豊田氏は成瀬氏にクリンチしにいく。運転を教えてください。以後成瀬氏は豊田氏の運転の師匠になって、そこからレーシングドライバー「モリゾウ(MORIZO)」への道につながっていくのである。

22年12月タイのチャーン・インターナショナル・サーキットにて行われた「IDEMITSU 1500 SUPER ENDURANCE 2022」にて(筆者撮影)

 ところで、なぜ彼は「モリゾウ」と名乗るのか不思議に思ったことはないだろうか。それもまた嫌がらせの結果である。成瀬氏を師に練習に励み、いざニュルブルクリンクの24時間耐久レースに出場しようとした時、自らの本名である豊田の名前を「トヨタブランドに傷が付く可能性がある」から使うなというお達しが出たのである。

 自分の本名が使えないなど、立派な人権侵害案件であり理不尽としか言いようがないが、今とは世相も違い、仕方がなかった。以後レースに出る時はモリゾウを名乗り、豊田章男の名前は使っていない。押しも押されもせぬ、日本経済界の重鎮となった今、豊田氏にそんなことを言える人はもうどこにもいない。

 そういう今となってもモリゾウの名を使い続けることには、過去の悲しい記憶が根底にあると筆者は思っている。一方で、今や世界的にもまれな、クルマ大好きな走る社長への親しみを込めた愛称として、モリゾウの名前は新しいコミニケーションも生み出している。その表と裏の両方を理解しないと、本当の意味は分からない。

 もう1つ「GAZOO(ガズー)」のほうも類似のストーリーがある。これは元々営業課長時代の豊田章男氏が、中古車の流通にトヨタ生産方式を取り入れるために発案した、インターネットを利用した高効率中古車流通のためのツールである。普通であれば「トヨタUカーシステム」とでも名付けられるはずのものだったが、ここでもまたトヨタの名前を禁じられた。結果として「画像を使うのでGAZOO」ということになった。これを二人三脚で立ち上げたのが前述の友山フェローである。

 GAZOOは、モリゾウがトヨタ車の走りを改革していくこと、そしてレース活動を行っていく際の母体となった。筆者の解釈としては、準えるなら、トヨタ自動車内部の私兵組織である。そういう性格の組織が、後に「TOYOTA GAZOO Racing」として、F1までやったトヨタレーシングを吸収していく。たぶんそこには当時の怨念のようなものがこもっているのだと筆者は考えている。

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