豊田章男社長を取材し続けた筆者が思う、退任の本当の理由池田直渡「週刊モータージャーナル」(5/6 ページ)

» 2023年01月30日 08時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

創業家プリンス、豊田章男氏の14年

 さて、これらのエピソードが何を示すのかと言えば、ちまたにうわさされる、「豊田章男は創業家のボンボンで、銀のスプーンをくわえて歩んで来た世間知らず」というイメージと現実の乖離(かいり)である。端的な話、豊田章男という人はトヨタに自らの意思で入り、そこで創業家のプリンスであることを理由とした壮絶ないじめを生き抜いてきた。そういう人である。

21年3月期 第2四半期決算説明会での豊田章男社長(出典:トヨタ自動車)

 今回、豊田章男氏は、自身が社長に就任した際を振り返り、「過去に相当時間を費やした」と説明している。仕事ができるようになる前に、まずは原状回復が必要だったということである。状況を整理し、改善することは経営の大原則であり、今でも変わらないが、それをしてゼロに戻すリセット作業に膨大な手間暇を費やしてきた。

 「畑に例えますと、種を蒔いたばかりの畑もあるし、収穫前の畑もあるし、これから種を蒔ける畑もある」。そういう仕事に専念できる状態に戻したことでバトンタッチの好機だと判断したというのである。

 もちろん謙遜もあろう。読者の皆さんもよくよくご存じの通り、豊田章男氏の14年が、リセットだけの14年だったなどと言うことはない。もっといいクルマをあらたに定義し、クルマ好きの琴線を揺さぶる多くのクルマを世に問うてきた。もちろんさまざまな問題と闘い、未曾有(みぞう)の危機、例えば、リーマンショックの後始末から始まり、米国の公聴会、東日本大震災、チャイナショック、円高、デフレ、コロナ危機、ウクライナ侵攻とロシア撤退、サプライチェーンの棄損、半導体危機、円安と、多くの困難を乗り越えながら、業績も躍進させてきた。

 おそらくは後の世に、トヨタ自動車中興の祖と言われる名経営者でもある。たぶんだが、経営者に最も必要な素養は「明るさ」である。おそらくそれを豊田章男という人は本能的に知っている。経営は迫り来る危機に対応し、失敗すればもう一度どうすべきかを考え直して、何度でも何度でも立て直し続けていく仕事である。

 人として前向きに考えられる明るさなしにできることではない。だから人前での彼は常に明るいし、華がある。しかしながら、誰にもその裏側はある。嫌が応でも目立つ立場ゆえ、ネット上での誹謗中傷はすさまじい。表舞台で明るく振る舞うが故に、1人でそのネットの海に立ち向かう時、孤独は深い。

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