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いくら「お願い」してもニッポンの賃金は上がらない──その3つの原因とは働き方の「今」を知る(5/5 ページ)

» 2023年02月08日 07時00分 公開
[新田龍ITmedia]
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(3)多額の社会保険料と就労を阻む「壁」

 3つ目は、多額の社会保険料が差し引かれるうえ、就労を阻む「壁」があるため、賃上げそのものがためらわれる問題だ。

 わが国における税負担と社会保障負担の合計が国民所得に占める割合を「国民負担率」といい、2021年度に48.0%と過去最高を記録した。財政赤字を勘案した潜在的国民負担率は60.7%になると見込まれており、「百姓は生かさぬように、殺さぬように」と支配された江戸時代初期の年貢率「六公四民」に迫る勢いである。

財務省より

 同年度の国民負担率の内訳は、租税負担が28.7%、社会保障負担が19.3%となっている。この社会保障負担を構成する社会保険料の料率が年々上がっているのだ。厚生年金(第1種)の料率は、1942年時点で6.3%だったのに比べ、2021年には18.3%と3倍近い数字になっている。健康保険(協会けんぽ)についても、1947年は3.6%だった料率が、2021年には全国平均で10%こちらも3倍近く上がっていることになる。また、2000年からは40歳以上を対象とした介護保険制度も始まり、こちらも導入時の0.6%から1.8%と、2021年までに3倍増しとなっている。それぞれ導入当時から約3倍になった計算だ。

 とはいえ、導入時から80年を経過したわけだから、「わが国の経済成長に伴って賃金も増加し、それに比例して料率も上がっていったということでは?」というご意見もあるだろう。しかし本稿序盤でご覧いただいた通り、わが国の賃金水準はバブル崩壊以降ほとんど伸びておらず、平均年収では1992年の470万円超をピークに2014年には419.2万円へとむしろ減少傾向にある。一方で、社会保険料率は上がり続けているのだ。

 現状、厚生年金保険料や健康保険料に関しては、会社と従業員個人が50%ずつ負担する労使折半がおこなわれている。給与から自動的に天引きされているため、自分たちが毎月どれほどの保険料を支払っているのかあまり気にしたことがない人が多いかもしれないが、厚生労働省の推計によると、2025年度の会社員1人当たりの労使負担分を合計した保険料はなんと年収の3割を超えるとされているのだ。

 これが消費税や所得税であれば、増税にあたっては国会の議決が必要となるため、わずか数%の増税でも大きな議論になるだろう。しかし保険料の上昇は国会議決が必要なわけでもなく、誰も抵抗しないまま、知らないうちに天引きされる保険料が増えているだけ。いわば「見えない増税」なのだ。

 わが国の社会保障給付費は2010年度に初めて100兆円を突破したが、2025年度には早くも146兆円にまで増加する見込みだ。内訳は保険料が6割、税金が4割で、実は税金の増加分よりも社会保険料の増加分のほうが大きいのである。幅広い世代が負担する消費税と異なり、社会保険料を負担するのは現役世代だ。

 負担率が毎年のように上昇していくということは、企業にとっては何もしなくとも人件費負担が増加し、会社員にとっては何もしなくとも手取りが減っているのと同じ。仮にわずかな賃上げをしたところで、上昇した分だけ社会保険料率も上がってしまい、手取り金額はほぼ変わらず、社員にとって賃上げ実感が得られないというケースも十分想定される。企業にとっては負担感ばかりが高まり、賃上げどころか、雇用自体を抑制しようという動きになりかねない。

 そもそも社会保険は、われわれ現役世代が負担したぶんに見合った受益ができることが原則のはず。しかし現実は、健康保険料の約4割は高齢者医療制度への支援金に流れているうえ、政府は給付抑制策を見送り続け、社会保険料負担は今後も増していくばかりだ。せめてこのような世代間の不公平さは政府の権限で是正し、社会保険料から消費税への財源シフトや、企業負担分を全廃もしくは軽減することで賃上げへの原資とすることなど、建設的な決断をしてもらいたい。

 あと、税金と社会保険というテーマとなればもう一つ、「壁」の存在も賃上げを阻む原因となる。よく、学生や主婦がアルバイトやパートで働く際に「年収●万円までに収めないと……」といった話を聞くことがあるだろうが、税金と社会保険料が控除される年収水準があり、それ以上働くとかえって手取りが減ってしまうため「壁」と称される。

 まず「103万円」と「150万円」は税金の壁である。年収103万円を超えると、超えた額に対して自分で所得税を納めるようになる。150万円の壁は、配偶者(納税者)の税金の控除である「配偶者特別控除」が徐々になくなっていくラインだ。

 そして「106万円」と「130万円」は社会保険料の壁になる。一定規模(※)以上の会社でアルバイトやパートをすると、年収106万円以上で社会保険に加入することとなり、給料から厚生年金と健康保険料が引かれる(※正社員が501人以上、収入が月8万8000円以上、雇用期間が1年以上、所定労働時間が週20時間以上、学生ではないこと)。

 また上掲一定規模に該当しないところでパートやアルバイトをし、年収130万円を超えると、自分で国民年金および国民健康保険に加入することになる。この場合、負担金額を考えると、目安として年180万円以上稼がない限り、手取りは減ってしまう仕組みなのだ。

 特にアルバイトやパートに労働力を頼らざるを得ない流通業や飲食業の運営会社では、スタッフにもっと働いてもらいたい、もっと給料を上げて報いたいと考えていても、この「壁」が存在するせいで、「130万円を超えてしまうので勘弁してください」と断られるケースもある。働きたい人のやる気を削ぐような仕組みはすぐにでも見直していただきたいところだ。

「賃上げが難しい、3つの原因」まとめ

 ここまで考察してきたように、政府は「企業に賃上げを要請する」のではなく、「企業が積極的に賃上げしたくなるような制度や環境を整備する」方向に頭を使っていただきたい。そのためには労働法制の抜本的な改革は不可欠。ぜひ、賃上げした企業が報われるような仕組みを構築してもらいたい。

著者プロフィール・新田龍(にったりょう)

働き方改革総合研究所株式会社 代表取締役/ブラック企業アナリスト

早稲田大学卒業後、複数の上場企業で事業企画、営業管理職、コンサルタント、人事採用担当職などを歴任。2007年、働き方改革総合研究所株式会社設立。労働環境改善による企業価値向上のコンサルティングと、ブラック企業/ブラック社員にまつわるトラブル解決サポート、レピュテーション改善支援を手掛ける。またTV、新聞など各種メディアでもコメント。

著書に『ワタミの失敗〜「善意の会社」がブラック企業と呼ばれた構造』(KADOKAWA)、『問題社員の正しい辞めさせ方』(リチェンジ)他多数。最新刊『クラウゼヴィッツの「戦争論」に学ぶビジネスの戦略』(青春出版社)

12月1日に新刊『炎上回避マニュアル』(徳間書店)を発売。


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