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いくら「お願い」してもニッポンの賃金は上がらない──その3つの原因とは働き方の「今」を知る(4/5 ページ)

» 2023年02月08日 07時00分 公開
[新田龍ITmedia]

(2)賃下げや解雇ができない弊害

 2つ目は、一度待遇を上げたらなかなか下げられずクビにもできないため、賃上げや新規採用をためらってしまう問題だ。

 前項にて、わが国の多くを占める中小企業があまり儲かっていないから給料がなかなか上がらない、という構図をご覧いただいた。そこで、読者諸氏の中には以下のように考える人がおられるかもしれない。

 「とはいえ儲かってる会社はあるし、普段儲かってなくても、たまたま儲かるタイミングはあるだろう? 儲かった時に給料を上げて社員に報いて、儲からなくなったらまた下げればいいじゃないか!」

 恐らくこの論点こそ、経営者と従業員の間でもっとも認識や見解が合致しないところではないだろうか。社員目線で見れば、儲かっている時に給料を上げてくれれば、業績が厳しい時に多少下がるのは仕方ないと理解できることであり、会社はそれくらい柔軟に対応してもいいのに、と考えてしまいがちだ。

儲かった時でも、給料が上がらないのはなぜなのか(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

 しかし残念ながら、わが国の労働法制や裁判の判例ではそうなっていない。会社側が一度決めた給料額や諸手当、休日日数、福利厚生などの労働条件を会社側が一方的に引き下げる(不利益変更する)ことは原則として禁止されており、実質的に「一度上げてしまった給料水準を引き下げることは相当困難」となっているためだ。

 もちろん「絶対禁止」というわけではなく、会社の経営状況が悪化し、「社員の給料を下げないと潰れてしまう」といった緊急時であれば実行可能である。とはいえその際も、会社側は個別の社員や労働組合と面談して給与引き下げの理由や内容を丁寧に説明し、全社員に合意を得なくてはならない、という厳しい制約条件があるのだ。

 もし然るべき手続きを経ないまま、会社が一方的に労働条件を不利益に変更した場合、社員や労働組合が変更の無効、変更後の未払賃金・慰謝料を求めて労使紛争や訴訟等に発展してしまう恐れがあるし、実際にこれまで多数の裁判がおこなわれてきた。そうなれば、解決には相当の手間や時間がかかるし、「あの会社は社員の給料をカットしたことでもめているらしい」といったネガティブなレピュテーション(評判)が広がってしまうことにもなりかねない。

 法の本来の趣旨は、「会社側に一方的な不利益変更をさせず、労働者の権利を守る」というものであったはずが、厳しい制約によってかえって「いざという時でも柔軟に給与水準を下げられないのならば、そもそも給料自体を上げないでおこう」と賃上げを思いとどまらせる、皮肉な結果になってしまっているわけだ。

 この「いざという時でも柔軟に対応できない」のは給料引き下げのみならず「解雇」にも当てはまる。ご存じの通り、わが国では「労働契約法」やこれまでの判例の積み重ねにより、解雇が裁判となった場合、解雇無効と判断されるケースが多いため、実質的に解雇が困難となっている(参考記事)。

  • 労働契約法第16条:解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を乱用したものとして、無効とする。

 この枠組みも不利益変更と同様、会社側の一方的な不当解雇を抑止し、労働者の権利を守るうえでは有効ではあるのだが、一方で組織の機動的な動きの足枷となり、ひいては人材の流動性を阻害する要因にもなりかねないのだ。

 もし、事業の発展に貢献してくれるような優秀で希少な人材が見つかり、高額報酬で迎え入れたい、となったとしても、仮に採用後にミスマッチが発覚したり、急激な市況・業績変化が起こったりすることを想定すると、「解雇のしにくさ」は採用の大きなボトルネックになることは間違いない。

解雇は大きなトラブルのもと(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

 「解雇したらトラブルになる」ことがほぼ確定している場合、雇用側にとってはリスク要因となり、高い報酬を設定すること自体を躊躇してしまうことにもなるだろう。必然的に「絶対に間違いない人しか採用しない」こととなり、採用ハードルは上がり、流動性は低くなってしまう。その結果として、付加価値が高いゆえに高報酬を用意している外資系企業が、わが国で高報酬ポジションの採用を避けることになるかもしれないのだ。

 とはいえ、「雇用の流動性を高めるためにも解雇をしやすくしよう!」などと提言すれば大きな反発を受けてしまうのは確実。現実的な解決策としては、「解雇の金銭解決」を今より簡潔かつ円滑にできるようにするのがよいだろう。

 意外に思われるかもしれないが、現在わが国では、解雇を金銭解決できる制度が存在しない。なので、会社から不当解雇された人が裁判で争う際には、いくら会社に愛想を尽かしていて復職したくなくても、「解雇は無効だから復職したい」と主張するしかないのだ。会社側としてもいったん解雇した人物を復職させる気はなく、解雇の撤回もしたくない。ではどうするかといえば、お互いにとってあまり意味のない「復職」をテーマに裁判し、その妥協点として「退職する代わりに解決金を獲得する」という方向に持っていくしかないのである。

 「解雇の金銭解決」を制度として正式に導入できれば、そんな不毛なやりとりをしなくても済む。それも、わざわざイチから制度構築する必要もない。現行の労働契約法16条に追加で「解雇に際し、使用者が対象労働者の賃金6カ月分以上に相当する金銭を支払った際は、その解雇は客観的な合理性を有し、社会通念上相当であると見なす」といった一文を入れるだけでいいはずだ。

 世界から優秀人材を集めて付加価値の高いビジネスを実現するためには、雇用制度もある程度は世界標準に合わせていく必要があるだろう。実情に合わせた制度変革が望まれるところである。

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