ベンチャーの成長のカギを握る存在、CFO(最高財務責任者)。この連載では、上場後のスタートアップの資金調達や成長支援を行うグロース・キャピタルの嶺井政人CEOが、現在活躍するCFOと対談。キャリアの壁の乗り越え方や、CFOに求められることを探る。
【編集履歴:2023年3月2日午後1時 初出時の記事タイトルを修正しました】
「CFOの意思」第9回の対談相手は、ソフトバンクグループの後藤芳光氏。安田信託銀行出身で、2000年に現ソフトバンクグループに入社した後藤氏は、財務部長の他、常務執行役員、取締役などを歴任し、18年からはCFOを務めている(現在は取締役 専務執行役員 CFO 兼 CISO)。
同社の金庫番を務めてきた二十余年で、最もハードだった挑戦は? 世間を驚かせたボーダフォン日本法人の買収は、どのようにして実現させたのか。孫会長と伴走したこれまでを振り返る。
後藤: 安田信託銀行へ新卒入社したのが1987年。その10年後、日本は金融危機に見舞われました。同行も厳しい市場の洗礼を受け、富士銀行の子会社になりました。
それまで、企業向けコンサルをやっていたのですが、富士銀行グループの安田信託銀行としてどうしていくのかをコンサルティングし、富士銀行に説明するよう役員から言われました。
1年ほどその仕事に携わっていましたが、その前にやっていたベンチャーの育成や上場サポートを再度行いたい思いが膨らんできた2000年、銀行を飛び出しVC(ベンチャーキャピタル)に移りましたが、この転職は失敗でした。その頃、笠井和彦さんにお声がけいただき、一緒にソフトバンク(現ソフトバンクグループ)に入社しました。
富士銀行の副頭取から安田信託銀行の取締役会長を務められた笠井さんの経営スタイルや人間力に、非常に魅力を感じていたんですよね。その笠井さんがソフトバンクに移籍される時に「一緒に来るか?」と誘われて、「はい、喜んで」と(笑)。
嶺井: 後藤さんが入社されてから、ITバブルの崩壊、株価が100分の1に下落、ブロードバンド普及に向けたチャレンジやボーダフォン日本法人の買収など、さまざまな出来事がありました。中でも「ここが山場だ」と感じられたのは、どんなことでしょうか。
後藤: 23年の歴史の中で、規模感からいっても、取り組んだ内容からいっても、Yahoo! BBの一からの立ち上げが最も難しかったですね。
ユーザーを増やすため、駅前で、Yahoo! BBのレンタルモデムの入った赤い袋を配っていたんですから。「使ってみてください。使わないようであれば、後ほど宅配便で取りに行かせます」って。借りたものを不要だと感じたら、きちんと返してくれる真面目なお国柄だからこそ成り立ったと思うんですけどね。
嶺井: 各地の駅前で配っていましたよね。記憶に残っています。当時は数千億円単位の投資をされ、4年連続の赤字となりながらも事業の立ち上げを行われました。
後藤: モデムを駅前で配るというのは、めちゃくちゃなやりかたですよね。銀行側からしてもお金を貸しにくい。そもそも、事業の立ち上げ時期は資金を調達しづらいのに、数千億円という単位で資金が必要でしたからね。本当に、あれが最も大変でした。
嶺井: 資金調達をどのように実現されたのでしょうか?
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