大ヒット「N-BOX」はF1から生まれた ホンダがF1に求める「名誉」以外のもの鈴木ケンイチ「自動車市場を読み解く」(2/3 ページ)

» 2023年06月26日 07時00分 公開
[鈴木ケンイチITmedia]

企業存続をかけたF1参戦

 実際のところ、ホンダによる1964年の最初のF1参戦は、「名誉」を強く求めていた当時の時代背景がありました。

 ホンダの創業は戦後であり、今ある日本の自動車メーカーの中では最後に登場したメーカーです。新参者であるホンダは、ユーザーから信頼を勝ち取る必要性がありました。そこで、オートバイの発売からスタートしたホンダは積極的にレースに参戦し、50年代の後半からはオートバイの世界選手権で大活躍します。ここで得た「名誉」によって、ホンダは新参者ではなく、優れたオートバイを作る技術力の高いメーカーとして認知され、大きく成長していったのです。

f1 50年代の後半からはオートバイの世界選手権で大活躍(同社提供)

 そんなホンダは、60年代になるとクルマを手掛けるようになります。ホンダ初のクルマの販売は63年の「T360」という軽トラックです。一方、F1に挑戦したのは64年から。当時のホンダは、オートバイのメーカーからクルマに参入したばかりにもかかわらず、世界最高峰のクルマのレースに挑戦したのです。しかも、当時のホンダ社内では、オートバイの次はクルマの世界選手権へ挑戦することが、ほぼ当たり前のように考えられていたとか。いってみれば、当時のホンダは急成長を遂げたベンチャー企業そのもので、他のメーカーとは違った熱気と勢いがあったのでしょう。

f1 日本初のフォーミュラ1カー ホンダ・RA271(同社提供)

 また、国内事情からみても、ホンダがレースで活躍して「名誉」を得るのは重要なことでした。当時の日本は、まだまだ自動車産業の黎明期。「強い輸入車と戦うためには、日本に数多くある小さな自動車メーカーを統合して強くすべき」という考えがあったのです。そうした国の方針に沿って、小規模ながらも高級路線を走っていたプリンス自動車は日産自動車と66年に合弁。当然、新規参入者であるホンダにも、同様の圧がかかっていたはずです。

 しかし、ホンダはF1初参戦の2年目となる、65年のメキシコGPで優勝を果たします。この優勝という「名誉」が、当時のホンダの4輪事業の大いなる追い風になったことは疑いようがありません。また、83〜92年の第2期のF1参戦は、強豪マクラーレン・チームとアイルトン・セナという人気ドライバーの組み合わせで、ホンダ最強という時代を築きました。バブル時代を迎えた日本でのホンダのビジネスも絶好調。和製スーパーカーと呼べる初代「NXS」も第2期F1参戦中の90年に誕生しています。

 ここまでのホンダのF1参戦は、確かに意味あるものでした。しかし、その後のホンダの幾度ものF1参戦の必然性は微妙なものといえるのではないでしょうか。

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