そば大衆店はどこに行く? コロナで駅そば苦戦 大戸屋やすかいらーくがロードサイドに続々出店長浜淳之介のトレンドアンテナ(6/7 ページ)

» 2023年07月31日 14時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

駅の立ち食いそばは苦戦

 このように活性化する郊外型の日本そばチェーンであるが、コロナの影響でステイホームが推奨されて鉄道利用者が激減したため、苦境に陥ったのが立ち食いを主とする駅そばだ。

 薄利で提供していた良心的な店ほど、店主の高齢化や後継者難が相まって、閉店してしまうケースが残念ながら後を絶たない。

 駅の再開発が閉店理由であるJR渋谷駅「本家しぶそば」は例外として、もともとあった後継者難がコロナによる営業不振によって露呈し、経営を諦めたケースも多い。

 一例を挙げれば、東京駅で唯一のホームにある駅そばだった「東京グル麺」が22年9月に閉店。コロナ禍の影響で売り上げが4分の1にまで落ち込み、回復の道筋が見えなかったという。東京グル麺は東海道新幹線の18、19番線ホームにあり、「カツ煮そば・うどん」が名物だった。

 JR桜木町駅構内「川村屋」は明治33年(1900年)の創業。当初は洋食店だったが、1969年に駅そばを開業、89年より駅そば専業となった。天然だしを使った手作りの汁が評判の店だったが、後継者が見つからない中、店舗運営が継続できなくなって2023年3月に閉店となった。

閉店した、川村屋のとり肉そば。いか天トッピング

 JR音威子府駅構内「常盤軒」は1933年の創業。音威子府は宗谷本線の特急停車駅で、かつては天北線(1989年廃止)が分岐する乗換駅としてにぎわっていた。夜行列車が走っていた頃は24時間営業していた時期もあったという。

 常盤軒のそばは、黒々とした太麺の地元・畠山製麺の麺を使い、独特の風味で旅行ファンや鉄道ファンに熱烈に支持されていたが、21年2月に店主が亡くなり後継者がないまま閉店した。

 そればかりか、畠山製麺も22年8月に後継者難で廃業。村の名物である音威子府そばの伝統が途切れる危機に陥った。

 しかし、元村民で実家がそば農家という千葉県茂原市の「音威子府食堂」店主の佐藤博氏が、東京都新宿区のそば居酒屋「音威子府TOKYO」、茂原市の三浦家製麺と共同開発。試行錯誤の末「新音威子府そば」として、23年5月に復活させた。オリジナルに忠実な味と、地元からの評判も上々だ。

音威子府TOKYOの新!!音威子府そば。常盤軒の駅そばを再現
そば居酒屋、音威子府TOKYO

 22年1月、中沢製麺(栃木県栃木市)が委託運営をしていたJR小山駅の「きそば」が、JR東日本のグループ再編により約70年続いた営業を終了。しかし、地元企業の熱意で場所を変え、東武伊勢崎線足利市駅の駅前に復活した。

 店名は「おやまのきそば」だ。志賀産業(栃木県足利市)の松川光宏経営企画部長が、子どものころからのきそばファンだったことから、中沢製麺の中沢健太社長に直談判。材料、ノウハウを供与され、22年9月1日にオープンしている。

小山駅のきそばが、足利市駅の駅前に復活
おやまのきそば、人気の天ぷら・岩下の新生姜そば

 東京など遠方から同店を目指して来る人も多く、大きな反響を生んでいる。人気のメニューは、小山駅にあった頃からの名物「岩下の新生姜そば」だ。

 きそばは新海誠監督のアニメ映画『秒速5センチメートル』で登場する立ち食いそばのモデルになり、聖地とされていた。かつては、両毛線の栃木、佐野、足利の各駅にも店舗があった。

 このような人気店であるため、栃木県宇都宮市のJR宇都宮駅前「駅前横丁」にも同日の22年9月1日、「宇都宮きそば」がオープンした。

 その後も、小山市のキッチンカーと「小山東屋台村」常設店、栃木市の常設店と続々とオープンして、きそばの勢いは小山駅に1店残っていた頃より増している。JRに見切られても、地元に本当に愛されていればきそばのように駅のみにとらわれない立地で、奇跡の復活もあり得るのだ。

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