山口氏は優勝後、慶大に進学するも、実業団の台湾精糖にスカウトされたことで1年で中退したという。その後、紆余曲折を経て、1929年に「日の出モータース」を創業。「販売の神様」と呼ばれ、創業者の豊田喜一郎氏とともにトヨタ自動車の創業期を支えた神谷正太郎氏からの打診で、35年には同社の正規ディーラー1号店として「G1型トラック」の販売を始めた。
戦後直後の48年に、社名を愛知トヨタに変更し、山口氏は初代社長に就任。戦後の高度経済成長期でトヨタが事業規模を拡大させる中、愛知トヨタはトヨタの対米輸出1号車の輸出を手掛けるなど、山口氏の経営手腕で独立系ディーラー屈指の売り上げを誇る企業に成長した。
山口氏はトヨタ自動車販売店協会理事長(61年)、愛知県自動車販売協会会長(同)、トヨタ自動車販売店協会会長(73年)を歴任し、76年に79歳でこの世を去るまで、愛知県内でトヨタ車の販売網構築に尽力した。公式Webサイトの情報によると、現在、愛知トヨタはグループ全体で6600人以上の社員を抱え、約200店を展開。売上高は3707億8500万円を誇り、トヨタ車の普及に貢献している。
中日新聞は8月21日付の記事で、山口氏が慶大時代の人脈を活用し、地元のプロ野球球団である中日ドラゴンズのチーム再建のため、元巨人の水原茂監督を招聘(しょうへい)したと報じている。水原氏の下、中日ドラゴンズは5年後の優勝への礎を築いたという。107年前、慶應に初の栄冠をもたらした二刀流エースは、卒業後、自動車販売とプロ野球の世界で二刀流の貢献をしていた。
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