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SaaSのグローバル化は幻想か? 生成AIが「ベンダーの逆風」となり得る理由らんぶるの「コッカラSaaS」

» 2024年03月14日 15時30分 公開
[らんぶるtheLetter]
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 SalesforceのM&A分析ばかりでも単調化しそうなので、少し俯瞰して今後のSaaS業界のグローバル化について考えてみる。

 SaaSに限ったことではないが、売り上げを増やすには顧客数を増やすか、単価を上げるしかない。SaaSを含むソフトウェアに限って言えば、提供価値を定数とした時の単価は上がらないようになっている。これはソフトウェアが常に改善されるという前提に依存し、その前提はおおむね正しい。

 従って単価を上げるためには、技術開発のコモディティ化よりも速く提供価値を向上させる必要があるが、生成AIの到来により技術開発のコモディティ化が加速することは一目瞭然である。もちろん技術的革新は続く。しかしSalesforce誕生から25年、SaaS製品顧客としてわれわれが一貫して経験してきた「なんかよく分からない機能が増えて去年よりも利用額が増えた」トレンドの終焉(しゅうえん)は近いように思う。

 一方、顧客数を増やすには大きく分けて2つの方法がある。同じ地域で別の顧客セグメントを狙うか、新しい地域に進出するかである。当ニュースレターは一貫して前者のアプローチを悲観視してきた。なぜならどの市場においても零細企業、中小企業、そして大企業が抱えるビジネス課題は大きく異なり、その解決手段としてのSaaSに要求される機能も役割も異なるからだ。

 Slackが結局ポンコツTeamsに勝てなかったことBILLが一貫して中小企業までを顧客ターゲットに絞っていることWorkdayが創業当初から大企業のみを狙っていたことなど、「SaaS企業による顧客セグメントの多角化は最後の手段であり、成功に導くことは極めて困難であること」はさまざまなカテゴリーで実証済みである。

 では後者の「新しい地域への進出」はどうだろうか?

SaaSのグローバル化は幻想なのか(写真提供:ゲッティイメージズ)

「他地域進出の方程式」が通じない 

 従来の他地域進出の方程式は以下のようなものだった。まずアメリカ市場で一定の成功をおさめる。その次に英語が通じるイギリスとオーストラリアを攻略し、その2カ国を足掛かりにEMEA(Europe、the Middle East、Africa)とAPAC進出を始める(オーストラリアは後回しになる場合もあり、その場合は日本が優先される)。気が付くとアメリカの半分くらいの売り上げは他地域から上がるようになっており、グローバルSaaSが晴れて誕生する。

 アメリカが世界最大のソフトウェア市場であるという事実は今後も変わらない。しかし他地域のSaaS経済圏が相対的に成長し、グローバルSaaS企業における米国内の売上貢献度が下がるかというと、まだまだその気配はない。コロナ禍を挟んだ3年間で北米の売上貢献度がどれだけ変化したか、代表的なSaaS企業のデータを眺めたものが下図である。

 2022年末時点でも米国の売上貢献度は依然として高い。22年は米国連銀が急ピッチで政策金利を引き上げた一年でもあり、ドル高の影響も否めないが、それを差し引いても売り上げのグローバル化の道のりは遅々としていると言うより他はない。

11社の内訳はCRM・NOW・ADBE・DDOG・VEEV・ZM・NET・CRWD・OKTA・TWLO・HUBS。赤から青へ右への移動は顕著。また会社によっては北米(米国+カナダ)という区分で報告しておらず、米国のみ、あるいはアメリカ大陸で報告している会社もあるため、厳密には北米の売り上げではないことに注意したい。しかし実質北米もアメリカ大陸も、アメリカ合衆国の売り上げが大部分を占めている

 GDPという観点で言うならば、米国は世界の25%弱なので、SaaSの獲得可能市場の観点からは、二番手中国の18%を除いたとしても、全体の30%ほどでしかない。一方で上記11社が示すように大手上場SaaS企業における米国の売上貢献度は軒並み50%を超えており、Salesforceなど70%近い企業も少なくない。つまりグローバルSaaSと呼ばれる企業たちは現状、北米、特に米国に売り上げが集中しており、もしこれら既存SaaS企業がよりグローバル化するのであれば、米国以外の地域での売り上げが、大いに加速する必要がある。

 しかし、SaaS黎明期ともいえるこの25年で起こらなかった現象が、今後25年で起き得るのだろうか。当ニュースレターは「データの国有化」と「アクセンチュア2年目のスーパーサイヤ人化」の2つの観点から、否定的に予想する。

データの国有化

 SaaSを含むWebアプリケーションは、結局のところデータへのアクセス管理ツールでしかない。CRMならば顧客データ、ERPならば法人資産データ、HCMならば人事データへのアクセスを平準化し、その処理を自動化したり、分析しやすくすることで得られる付加価値に対して利用料が発生するのがSaaSのビジネスモデルだ。そうすると何よりデータの置き場所が問題となってくる。

 これまでの25年間、データにまつわる社会規範と法的基盤は自由化の一途にあった。1998年にMarc BenioffとParker HarrisがSalesforceを創業した際、顧客情報という企業の心臓ともいえるデータをファイアウォールの外に持ち出すなど、非常識きわまりないと考えられていたが、今やSaaSでないCRMを探す方が難しい。2000年代後半に始まり、10年代を通して本格化したAmazon・Microsoft・Google3社によるIaaS抗争も、データのクラウド移行を大きく後押しした。今や法人データはクラウドにあるのが当たり前であり、法規制を守りつつも、それらのデータが国境を跨いで連携されることのようになりつつある。

 しかしこのデータ自由化の流れは、今まさに変わろうとしている。

 今思えば欧州のGeneral Data Protection Regulation(GDPR)、そして中国のData Security Law(DSL)はデータ規制時代幕開けの合図だったのかもしれない。GDPRはGoogleやFacebookといった広告プラットフォームから消費者のプライバシーを保護するため、DSLは10年代後半から悪化の一途にある米中関係を背景に国防の観点から設置されたが、いずれもSaaSのグローバル展開に水を差すこととなった。IaaSというSaaSのひとつ(PaaSも考慮すれば2つ)下の抽象化レイヤーが20年の月日をかけて構築したグローバルインフラも、政治的制約の前では役に立たない。

 そうこうしているうちに、われわれは生成的AI時代に突入してしまった。AI技術の武器商人NVIDIA社のCEOであるJensen Huang氏は、先日のWorld Governments Summitで、全ての国家は独自のAI基盤を持つべきだと主張、ソブリンAIなる概念を提起した。生成的AIの大規模言語モデルは、あくまでインプットとなるデータを処理した成果物であり、モデルの挙動を制御するためには、元データ、そしてそれを保持・管理するデータ基盤の安全性と信頼性を国家レベルで担保する必要があるとHuang氏は主張する。

 Huang氏が国防のエキスパートなら、その言葉を額面通りに受けとるべきかもしれない。しかし同氏がけん引するNVIDIAは、そのデータを処理する上で欠かせないGPU技術の最大手だ。自社が競争優位性を持つ抽象化レイヤーを希少化し、他社が競争優位性を持つ抽象化レイヤーをコモディティ化するというロビー活動に勤しんでいると考える方がしっくりくる。

 ここに来て急にMeta社の大規模言語モデルLlama2を担ぎ、オープンソースAIを提唱しはじめているが、Linuxの始祖Linus Torvaldsにファッキュー呼ばわりされるくらいには、歴史的にみてもNVIDIAのオープンソースソフトウェアへのコミットメントは薄く、ハードウェアとソフトウェアの垂直統合を競争優位性の源泉としてきた会社であることに今一度留意したい。

 一連のソブリンAIにまつわる動きは、SaaSレイヤーで生成的AIを展開しようとするOpenAI、そしてそのOpenAIの技術を担ぎ、IaaSレイヤーを占有しようとするMicrosoftへのけん制とみるべきであろう。だいたいソブリンAIを叫んだところで、要素技術であるGPUの提供元はNVIDIAを中心とした数社に限られるので、国家からしてみればNVIDIA本体、そしてそのNVIDIAに政治的圧力をかけられる米国こそソブリンリスクの塊である。

 ソブリン(でない)AIとOpen(でない)AIのどちらのアプローチが覇権的になるかは分からないが、少なくともこれから数年間の間、AIを巡るリファレンスアーキテクチャは安定しないだろう。そしてこの不安定は、SaaS市場にとって向かい風となる。なぜならデータに対してCRUD処理を行うフロントエンドとしてのSaaSは、既にオワ(った)コン(セプト)であり、どのカテゴリーにおいても生成的AIの活用が必要不可欠である一方、それがどのように運用されるべきかは、まさにこれから時間をかけて定まっていくリファレンスアーキテクチャに依存する。

 SaaSベンダー側は、自社が担当する業務範囲に特化した生成的AI機能をアピールする一方で、顧客側は流動的なアーキテクチャにはまる汎用的なソリューションを求めるようになる。

 ソブリンAIのトレンドも、SaaSベンダーにとっては向かい風だ。SaaS提供価値の本質は、ユースケース起点でデータ・分析・業務フローの3つを垂直統合することでビジネス価値を創出することだ。もちろん後発機能として生データへのアクセスを許可することも少なくないが、それはSaaSにとって理想的な状況ではない。一方でソブリンAIの考え方に従えば、元データとデータ処理は疎結合されるべきであり、SaaSの垂直統合的思想と真っ向から衝突する。

 この課題がSaaS業界にとって厄介なのは、データと処理体系の疎結合化は、地政学的にみても「望ましい」展開である点だ。ソブリンAIというネーミング、そしてそれを世界の政治リーダーが集まるサミットの場でHuang CEOが発表したことは単なる偶然ではない。グローバリズムの終焉が囁かれる中、国防の二文字は強力なマーケティングツールとなる。GDPRとDSLから始まったデータ分裂の流れが、ソブリンAIを通じてさらに本格化するならば、SaaSのグローバル化は一層きびしくなるだろう。

アクセンチュア2年目のスーパーサイヤ人化

 冒頭でSaaSビジネスのグローバル展開において顧客セグメントの多角化は最後の手段と述べた。では最初の一手は何かといえば、エンタープライズ顧客獲得の道筋を立てることだろう。

 グローバル展開をする上で、多国籍企業を中心とした大企業の顧客化は必須条件である。なぜなら、グローバルSaaSの「グローバル性」に魅力を感じるのは、これまたグローバルな大企業だからだ。単一国内のみでビジネスを展開する中小企業からすれば、他の国にオフィスがあろうが、他国のセキュリティ基準に準拠していようが、実務にはほとんど関係がなく、それよりも目の前の業務課題をいかに的確に解決してくれるかに価値を感じる。

 一方で世界規模でビジネスを展開している顧客にとっては、主要市場すべてにプレゼンスを持つグローバルSaaSは、単なるサービス提供者としてだけではなく、ビジネスパートナーとしても頼もしく映る。

 もちろん会社の体制がグローバルであっても、ソフトウェアはひとつだ。そのひとつのソフトウェアを各市場、各企業にカスタマイズすることで、SalesforceもServiceNowもAdobeもグローバル展開をしてきた。当然のことながら、カスタマイズを自社のみで担当しようとすると、Professional Services(PS)人材の人件費が積み上がり、粗利率を逼迫する。

 PS人材は、各市場特有の商習慣や近接システムの知見も求められるため、規模の経済が成り立たない。一方で、ソフトウェアコストはイノベーションの恩恵と、規模の経済の恩恵を受け下がり続ける。放っておくと全体コストに占めるPSの比重が大きくなり、財務三表が人月商売のそれに近似、会社そのものの評価額に悪影響を及ぼす。Workday分析の際にも触れた通り、アクセンチュアを筆頭とした実装を担うパートナー企業を開拓し、実装部分の売り上げと一緒に人的コストもパートナーに投げつけることで、PS売り上げを全体の10%から15%に抑えてきたというのが、グローバルSaaSの実態だ。

 以上がグローバルSaaSの観点からみた市場の成り立ちである。では実装パートナーの観点から考察するとどうだろうか? 当たり前だが、実装パートナーからすればSaaSはクライアント課題解決のひとつの方法でしかない。アクセンチュアのようなコンサルティング企業がSalesforceやServiceNowといったSaaSを積極的に採用してきた理由は経済的合理性に他ならない。

 広く使われているSaaSを採用すれば、スタッフのスキルの使い回しが容易であるし、実装済み機能を正しく援用することでカスタマイズ領域を絞り、納品までの時間を短縮できる。

 しかしこの生産体系は、これまた生成的AIの登場によって大きく変わりつつある。以前MongoDB分析の文脈の中で「アクセンチュア親和性」という概念を提示し、こう考察した。

人材不足を解消するにはふたつの方法がある。ひとつはIT人材を増やすこと。もうひとつはIT人材一人当たりに求められるスキルレベルを下げることだ。

必要とされるスキルのレベルを下げる手取り早い方法は抽象化であり、例えば前出のCtoCアプリの文脈で考えるなら、Webサーバを設定したり、セキュリティ対策をしたり、データベースソフトウェアをインストールし権限管理をしたり、性能のチューニングをしたりと、ビジネスロジックを実装する前段階で求められるスキルが山のようにある。

そんな人材を何十万人単位で調達しようなど最初から無理ゲーなことは火を見るより明らかだ。

 この分析から2年たち、IT人材は確実に進化した。より正確には、ChatGPT有償アカウントを使うことで高いスキルを発揮するIT人材の数は、増加の一途にある。SaaSソリューションを実装する人材のスキルが上がると、その分SaaS本体に求められる抽象度は下がる。 例えばSaaSがRDBMSに対するUIを提供していたとしよう。もし実装要員がChatGPTにSQLの書き方を聞きつつデータベースを直接クエリできるようになると、先のUIがこの実装要員に対して持つ提供価値は大幅に下がる。似たような提供価値の圧縮はSaaSのあらゆる側面で起き得る。

 提供している抽象化の価値が下がると、今度は自由度の低さが問題視されるようになる。なぜなら自由度が高いほど、実装パートナーからすると顧客ニーズに柔軟に応えやすいからだ。「これSaaSじゃなくてもよくないですか? AWSで〇〇と〇〇と〇〇を組み合わせると同じようなソリューションが作れるみたいです。ChatGPTに聞いたんですけど笑」みたいなメッセージは、既に関係各所のMicrosoft Teamsのチャット内で交わされていると想像する。

 もちろん、ChatGPTでコンサルタントのIT技能にブーストがかかったとして、急にSaaSの採用が冷え込むことはないだろう。ただしこれまで以上に、SaaSよりも低い抽象化レイヤーに属する技術やサービスの利活用が、より真剣かつ頻繁に検討されることは不可避である。RFPのカラムの数はライバルの数であり、その増加は逆風以外の何物でもない。

非ローカルSaaSの勝ち筋はどこか

 一通り悲観的観測を展開した上で、活路はどこにあるのか考えてみたい。

 まず準グローバルSaaSは今後もいくらでも展開されるであろう。より具体的には、アメリカ、EU諸国、中国、インドあたりは、複数国家を跨ぐ地政的覇権の核として、セミグローバルなSaaSのホームベースとなるだろう。日本に限って言えば、アメリカ覇権に含まれるので、純ドメSaaSは嫌だという起業家は、とりあえずアメリカ市場のみに注力することが、ローカル市場脱却の一手となるだろう。

 また、アジアの中で中国の一帯一路圏外に位置する国に狙いを定めるのもありだろう。最近だとラクスル創業者の松本恭攝氏は、新しく創業したSaaS企業ジョーシスの開発拠点をインドに置き、日本と米国に加えて、韓国市場を狙いにいっている。

 ただここでもやはり先に述べたデータ国有化は逆風となるとみている。日本も韓国も、地政的にはアメリカ覇権に属しているとは言え、データの扱いとなると話は別である。ジョーシスに限った話ではないが、インフラの設計はもちろんのこと、社内での顧客データ利活用にも細心の注意を払う必要が出てくる。どの国籍の人間が、どの場所で、どの顧客のデータに触れて良いのかは、今後各国の法規制の変遷と共に変化していくからだ。

 もう一つの活路は、提供価値の抽象度を下げ、より汎用的なミドルウェア的サービスを展開することだ。MongoDB、Snowflake、Confluentのような企業が、この領域では成功例として挙げられる。この類のサービスは、それこそ現存のSaaS企業の裏側でも利用されるものであり、ChatGPTでスーパーサイヤ人化したアクセンチュア2年目からも重宝されるだけの技術的厚みを持つ。

 もちろんそれだけの技術的ブレークスルーを創出し、かつ可用な製品にまで磨きこむことは容易ではない。ただ、今までの25年、特にIaaSがデファクト化し、ゼロ金利レジーム下でいくらでも先行投資できたこの10年は、SaaS起業家にとって特異的ヌルゲーボーナスタイムであったと考える方が、これから10年、20年の戦略を描く上では有用なのではなかろうか。

本記事はtheLetterでのらんぶるさんの執筆記事「グローバルSaaSは幻想か」(2024年2月15日掲載)を、ITmedia ビジネスオンライン編集部で一部編集の上、転載したものです。

著者プロフィール

らんぶる

メディア「コッカラSaaS」を運営。ソフトウェア業界歴10年以上の筆者が上場SaaS企業を中心に執筆。


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