世界的に生成AIの開発競争が激化する中で、現在の日本の立ち位置がどこにあり、これから何をすべきなのか。
AIの第一人者である松尾豊・東京大学大学院教授が3月15日、日本記者クラブで「生成AIの進展と活用可能性」と題して、AI開発の最新動向や社会へのインパクトについて講演した。
松尾氏は「世界的にはグーグルやマイクロソフトなどと数兆円の投資の戦いになる。日本のAIが世界と伍していくためには、医療、金融、製造分野など巨大産業に貢献する形を作る必要がある」と強調。産学が連携して生成AIを活用できるマーケットを考えながら開発していくことが必要だと訴えた。
同氏は現状について「AIは2010年ごろから第3次ブームを迎えていて、技術的なブレークスルーによりAIの実用化が大きく進むと期待されている」と話す。過去のIT技術のキャッチアップを例に挙げながら、生成AIの対応との違いを強調した。
「(アップルの)iPhoneが07年8月に米国で登場しても、当時の日本では誰も関心がなかった。4年後にスマートフォンが出てやっとその重要性に気付いた。検索エンジン、ソーシャルメディアが重要だと訴えても重視されず、気付いた時にはもう勝負がついていた。
ITとデジタル技術について、日本はこうした出遅れを繰り返してきた。しかし、生成AIに関して日本の動きは非常に素早かった。世界がChatGPTで驚いた時に、日本も同じように驚いた。国際的にもほぼ同時に反応し、日本も世界と同じように猛スピードで走り出し、最先端のIT技術の導入や議論が進められている。これは過去の日本からすると相当すごいことだ」
具体的な動きとして23年5月、松尾氏が議長をしている内閣府のAI戦略会議が発足。AIの利用や開発について議論した。松尾氏は支援策を評価している。
「予算もついて、いろいろな施策を実行している。特に経済産業省が主体となって、データセンターにGPU(画像処理装置)を増設する際に補助をした結果、昨年1年間でかなりGPUが増えた。現在、世界ではGPUの争奪戦が起きていて、日本が買い負けないように、きちんと交渉して対応しているのは正しい。このほか人材育成などにも目が向けられている」
AIと著作権に関する考え方については、今後の議論を注視する必要があると指摘した。
「著作権法第30条の4によれば、AIが学習で利用するのは著作権者の許可なく利用できる。ただし、著作権者の利益を不当に害する場合には許可がいるということになったので、AIを開発する側はやりやすい内容になっている。24年1月に芥川賞を受賞した九段理江さんは、著書『東京都同情塔』の執筆に当たり、生成AIを使って全体原稿の5%を書いたことで話題になるなど、作家やクリエイターで活用している人もいる。
ただし、新聞社やクリエイターからは『これで良いのか』という議論があり、文化庁に多くのパブリックコメントが寄せられている。世界的にもホットな議論が起きている。生成AIを開発したオープンAIと、米国のニューヨークタイムズは生成AIを使った記事を掲載することについて争っている。この問題がグローバルでどういう結論になるのかは非常に重要だ」
安全性の議論については「例えばChatGPTに核兵器の作り方を聞いて、答えられると困るわけで、安全性の議論がなされている。欧米でAIを利用するにあたってのプライバシー、セキュリティ、安全性について議論され、昨年動きがあった」と話す。
EU理事会と欧州議会は23年12月、EU域内で一律に適用されるAIの包括的な規制枠組み規則案(AI法案)に関して、暫定的に政治合意に達した。この法案では、AIのリスクを4段階(許容できないリスクは禁止、ハイリスクのあるものは規制、限定リスクのあるものは透明性の義務、最小リスクは規制なし)に類型化し、ソーシャルスコアリング(社会的行動や個人の特徴に基づく信用格付け)の運用などは人権侵害に当たるとして「『許容できないリスク』と定めて禁止することを求めている」と指摘。リスクに応じて規制内容を変えるアプローチをしようとしている。
米国は同年10月にAIに関する大統領令を発令した。安全性とセキュリティの新基準の設定、国民のプライバシーの保護など8つの指針を盛り込んでいる。英国も同年11月に、米国、中国、EU、日本、中東、アフリカ諸国など29カ国・地域によるAIセーフティサミットを開催。AIの安全に関する共同宣言を公表した。
日本では昨年10月の広島サミットで「広島AIプロセス」がG7首脳声明に盛り込まれた。同12月にG7各国は、開発者向けの指針や行動規範の基本的な方針に合意している。
この合意について松尾氏は「このプロセスは米国で発令された大統領令の議論の土台として使われた。またこれはG7だけでなく全世界に参加を呼び掛けている。最先端の分野で日本が議論をリードすることなどこれまではなかったが、しっかり役割を果たせている」と評価した。
「AIの安全性を検討する専門機関(AIセーフティ・インスティチュート、AIS)の立ち上げも非常に速かった。その初代所長に村上明子さんという技術者を起用したのは素晴らしい。米国、英国の専門機関のトップも女性で、これと並ぶことになり、よく検討されている」と、トップ人事を歓迎した。
「最近はAIについての要人が日本を多く訪問している。日本の動きによって世界のAIの議論が左右されていく。重要な役割を果たしている」と述べ、日本が存在感を発揮していることを明らかにした。
23年にChatGPTが世に出てから、多くの企業で社員がこれを使えるように整えるところが増えた。行政でも横須賀市、千葉県など職員が使えるようにする自治体が増え、学校や大学でも使用環境を整えてきている。ChatGPTの踏み込んだ利用方法としては法律相談や英会話などがある。
「最近増えている利用方法がRAG(ラグ、Retrieval Augmented Generation)と呼ばれるものだ。普通のChatGPTは、自分の会社のことを聞いても、知らないので答えてくれない。だが、会社など組織内の文書をChatGPTに覚え込ませておくと、社内のことについての検索が容易になる。
例えば『このプロジェクトの最初の責任者は誰だったか』を検索する場合は、事前に社内文書を読み込ませておくことによって、すぐに答えが出てくる。現在このRAGを導入している企業が非常に増えてきていて、私の松尾研究室も入れている」
生成AIの開発のポイントとなるのが大規模言語モデル(LLM)の出来栄えだ。松尾氏は実用化に向けての課題を指摘した。
「LLMはコントロールが難しく、バージョンが変わると動かないということも起きたりする。このためLLMの出力が正常なものかをチェックする仕組みが必要だ。生成AIを活用するためには、現状LLMの『堅い』システムと、ハイブリッドにすることが重要で、これをどのように作り上げていくか。修正点があれば、それを反映して次から同じ間違いをしないようにし、個人情報や著作権で問題が起きた際にはそうしたデータを取り下げるなど、全体を管理するシステムが重要になってくる」
さらに「医療、金融、プログラミングなど、領域に特化して精度を上げられる。医療の場合、事前学習として医療論文を多数読み込ませ、事後学習のチューニングでやりたいタスクを示すと、比較的小さいモデルでも精度が出やすい」と述べ、医療、金融などそれぞれの領域ごとに専用のLLMを作ることができる。
加えて以下のように指摘し、AIのさらなるイノベーションの可能性を予測した。
「今のLLMは言葉を入力して、言葉を出力するだけだが、言葉を入力して行動を出力する研究がされている。まだ十分うまくできてないが、これができるようになると、ブラウザーの操作(画面の読み取りや、キーボード上でのクリックなど)をしなくてよくなり、相当に広い仕事を効率化し自動化できるようになる。
この開発では、GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)やスタートアップ企業がしのぎを削っている。まだ技術的に難しく実現できていないものの、近い将来にできるようになる。これはロボットが上手に動くことになるので、日本にとってもチャンスではある」
グローバル企業の中で数兆円レベルの戦いが起きている現状と、日本企業の活路の見いだし方を以下のように指摘した。
「現在、日本の多くの企業が生成AIの開発を進めていて、兆円レベルの投資の戦いになっている。パラメーター数でみると、日本は100億なのに対して、GAFAMは1兆〜2兆レベルで2桁の差がある。GAFAMはこの開発に数兆円の投資をしても、(その開発の)後ろに数十兆円の売上高があるから投資できている。日本も最先端分野で戦うだけでなく、開発した後の補給路を確保しておく必要がある。その分野としては数十兆円の売り上げ規模がある医療、金融、製造分野が有望ではないか」
さらに医療分野を例に出し、持論を展開した。
「例えば医療で見ると、年間40兆円が使われているが、さらに増えていて(コスト的にも人材面でも)いつまで持つのかという問題がある。医師国家試験レベルの知能能力があるChatGPTを使えば、一人の医師が診られる患者数を増やせ、医療事務を圧倒的に効率化できる。そうすれば40兆円の医療費コストを減らして、1割の4兆円を生成AIの投資に充てられる。こうした形で回していけばGAFAMとも戦えるので、この構造を作る戦略が重要だ」
生成AIを開発する上で、日本メーカーが日本語に特化する方向でLLMを開発しようとしていることについては、以下のように述べた。
「日本語の能力を高めることはできるが、そうするとマーケットが小さくなる。(マーケットを広げるためには)アジアがカギになる。日本語だけでなく、韓国語、中国語、インドネシア語、タイ語などを含めた言語で使えるようなLLMを開発すれば、より広い東南アジア市場のビジネスで使える絵を描け、大きな展開ができるのではないか。そういうことを分かってくれて動こうとする人が少ないという問題がある」
日本市場の獲得のため日本語に特化したLLMの開発については、他の専門家も「日本市場だけで使える生成AIを開発するのは、日本では売れるかもしれないが、世界で通用しないので、ガラパゴス化する恐れがある」と指摘しており、日本市場だけを狙っての開発は視野が狭いと言わざるを得ない。
また標準化について松尾氏は「従来的な意味での標準化は競争上それほど重要でない可能性がある。生成AIは非常に柔軟な技術なので、インタフェースやデータが違っていても動く。標準化よりもセーフティなルールをどう作っていくかの方が、重要になってくる」と述べた。
日本は先端技術の開発で、欧米に後れを取り続けてきた。だが生成AIに関しては松尾教授が指摘するように、いまのところほぼ対等に近い立ち位置にいる。開発レースはまだ2、3年は続きそうだ。最終段階まで勝ち残って競争力ある独自の生成AIを商品化し、黄昏模様の日本経済を活性化する原動力になってもらいたい。
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