戦後の復興によって先進国、なかでも敗戦国ではまず簡素な構造のミニカーが作られ始めた。それらは小さく質素で、乗員数や荷物の積載能力も乏しいものだった。
そこで国民車構想が掲げられ、ドイツではフォルクスワーゲンがビートルを、イタリアではフィアットがチンクエチェント(500)を、英国ではBMCがミニを開発、生産。世にクルマを広めていく。
ミニは英国のBMC(のちのローバー)が生み出した最高傑作とも言えるクルマだ。軽自動車枠に余裕で収まるコンパクトなボディに1Lから1.3Lエンジンを搭載し、41年間も生産された。いまだに根強いファンに支持されている日本では小規模なメーカーやこれから自動車の生産を始める企業に対し、軽自動車の規格を当時の通産省が定め、四輪車製造への道筋を作る。そしてバイクメーカーだったスズキがスズライトを発売したが、価格は45万円。当時の庶民にはまだ高く、富士重工業(現スバル)がスバル360を36万円で発売し、ようやく多くの人に届けられるようになっていった。
大卒の初任給が1万円だった時代に36万円だった軽自動車は、現在の価値に換算すると800万円近くとなる。それくらいクルマを所有するのは大変で庶民の憧れだった、ということだ。
そこから経済成長と連動して軽自動車は手に入れやすくなっていく。スズキがアルトを46万円で発売した頃には、大卒の初任給は10万円程度まで上昇していた。
となれば、初任給の4カ月分で手に入るのだから、軽自動車でなくても分割払いで普通車や輸入車を手に入れようとする人も増えていく。そうやって軽自動車が手に入りやすい存在になっていく一方で、普通車も大衆の足として普及していく。
軽自動車が完全に普及すると、需要は地方の通勤用、近所の買い物用といった用途で使われる、いわば都市部での自転車に近いものになった。そんな実用一辺倒の乗り物から、軽自動車を魅力あるものに変えたのが、1993年に登場したスズキのワゴンRだろう。
それまでは軽バンの乗用車仕様しか用意されていなかった軽自動車に、室内は狭くなるもののあえてボンネットを与え、ミニバン的なスタイリングとすることで、遊び心を感じさせるイメージで大ヒットとなったのだ。これによって後にハイトワゴン(車高が高いワゴン車のこと)という新たなカテゴリーを作り上げるのである。
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