生成AIへの関心が高まる中、データセキュリティを確保する観点から、データレスクライアント(DLC)と呼ばれる市場がITエンジニアの注目を集めている。DLCとは、データをクラウドに上げてPCのローカル環境に保存せず、データ処理だけを実行するPCのことだ。
情報漏えいやデータ紛失リスクを軽減し、管理運用の負担を減らせるため、いま日本の主要企業で急速に普及しようとしている。11月20日、DLC市場の見通しについて講演したMM総研の中村成希取締役研究部長は「PC本体のデータ処理能力を生かしてユーザーの利便性を高めつつ、情報漏えい対策を実現するソフトウェアサービスで、今後5年間で年率27%の市場成長が期待できる」と予測した。日本独自のソフト技術のため、海外輸出も可能になるとみている。
生成AIばかりに注目が集まる中、日本独自のDLCの技術を国内のみならず海外に売り込めるのか。高度な技術を有する日本のソフトウェア技術にチャンスが訪れている。
MM総研が6月に実施したDLCの市場調査によると、現在、日本では中小中堅企業で約2500万台、大企業で約1000万台の計3500万台のPCが稼働しているという。このうちデスクトップ環境を仮想化する技術「VDI」(仮想デスクトップインフラストラクチャ)を使っているのが290万台。DLCに対応したソフトの使用本数は、調査対象の8社で2022年度が約11万本、24年度が13万本(見込み)だった。その後は急激に増えるとみていて25年度は24万本、27年度は39万本が見込めると予測している。これに伴いソフトのライセンス販売金額は、24年度は約33億円(見込み)だが、27年度は96億円と3倍近い伸びを予測している。
特に26〜27年度は、これまでセキュリティを確保するために導入されていたVDIの代替、補完需要が見込めるとして、大きなDLCの需要が発生すると見ている。
VDIについては多くの企業が導入しており、セキュリティ面で多くのメリットがある。一方で導入コストが高く、サーバ管理やネットワーク負荷への対応が負担になるケースが多いなど課題も指摘されていた。このため、DLCはVDIに代わるソフト技術としても関心を集めており、大企業を中心に導入する企業が増えている。このソフトは既に多くのベンダーが発売していて、さらなるレベルアップが期待されている。
日本のPC製造の歴史を振り返ると、1980年代にNEC、富士通、日立製作所などの大手メーカーがPCの生産販売に注力し売り上げを伸ばした。2000年代に入るとデスクトップPCなどが登場して市場は拡大。2005年度にはPCの国内出荷台数が1286万台を記録し、金額合計も2兆円を超えるなど大きな市場に成長した。その後、金融危機やスマートフォンの登場などにより2010年代以降は急速に販売台数が落ち込み、主要なPCメーカーの再編統合が進んだ。
日立はPC分野から撤退し、ソニーは「VAIO」ブランドを売却。NECと富士通はレノボにPC事業を譲渡、東芝は分離したダイナブック事業を台湾鴻海に買収されたシャープに売却している。現在残っているのはエプソンとパナソニックのみで、PCの製造は海外が中心になっている。
製造部門は日本ではほぼ消滅した。一方でソフトの技術者はそのノウハウ、経験を引き継いできていた。その技術を結集してできたのが今回のDLCのソフト技術と言えそうだ。
中村取締役は「いま世界中が生成AIばかりに目が向いているので、日本独自のこのソフト技術を国内、海外に売り込むチャンスです。日本のソフト技術者は高度な技術を持っており、これを生かして成長してもらいたい」と強調し、日本のソフトウェア技術者が底力を発揮することに期待をしている。一方「ビッグテックと呼ばれる海外大手ITは、市場が伸びるとみるとそうしたソフト開発会社を買収して、すぐに自社の傘下に置こうとする傾向があり、この動きが出てきたら要注意」とも話し、海外の大手メーカーの出方にも注目している。
国産ハードウェアメーカーが撤退の歴史を歩む一方で、DLCは2024年に入ってから、むしろ勢いを増している状況だ。
講演会に参加したDLCのソフトを開発したベンダーやSIerの中には、国内の市場を固めつつ海外展開も視野に入れている企業もある。ドイツやアジア市場に売り込みたいと計画している企業もあった。
日本のデジタル収支は、Microsoft(マイクロソフト)やGoogle(グーグル)の開発した膨大な量のソフトを使っているため赤字が続いている。仮にDLCの日本独自の技術が認められて、ソフトをまとまった形で輸出できるようになれば、赤字幅の縮小にも貢献できることになるようだ。
海外市場で認知されれば、日本のソフトウェア技術、デジタル技術の再評価にもつながることになり、「連戦連敗」のデジタル市場で、日本技術の優秀な力をみせつけることにもなる。
データ保護に関しては、日本と欧米では違いがある。日本では個人情報保護法が主な規制として機能している。この法律は、個人情報の保護にフォーカスし、企業における個人データの取り扱いについて規定を設けているものの、法律はやや包括的で、基本的なプライバシー保護を規定している。
欧米の方がデータ保護の意識が高く、VDIやデータ保護のためのソリューションの導入が先行している。一般データ保護規則(GDPR)が、データ保護における厳格な規制を提供し、データの収集から処理、保存、消去に至るまで、非常に詳細な管理を要求しており、違反に対する罰則も厳格だ。米国では、一貫した全国的なデータ保護法はないが、医療関連や金融関連の法律が整備されている。
NECの伊藤直宏パートナーセールス統括部プロフェッショナルは「日本では個人のプライバシーは重要視されていますが、日常におけるプライバシー意識は欧米と比べて異なる面も見られます。特に、社会全体で調和を重視する傾向が強く、個々の権利よりも社会全体の調和が重要視されることがあるため、データセキュリティへの意識が異なる形で表れることがあります」と指摘する。
欧米にセールス展開する際には、こうした日本との違いを十分に認識して営業をする必要がありそうだ。しかし、この市場はまだ伸び始めたばかりの分野で、認知度が不足している。このため中村氏は「認知度がVDIと比べて劣ることが今後の課題です。顧客のセキュリティ課題は複雑化しているので、DLCに加え、複雑な組み合わせの提案が求められています」と提言した。
デジタル技術で立ち遅れた日本では、PCの分野はハードもソフトも欧米で作られたものを日本市場で売っているだけだと思っていた。最も注目されているセキュリティの分野でこうした日本発のソフト技術が日の目を見ようとしているとは知らなかった。顧客目線で重要なデータ保護につながるソフトを開発していけば、日本のソフト技術者もまだ世界に打って出ることが可能なわけで、大いに磨きをかけてもらいたい。
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