かつては、東京から高尾に向かうトイレなしの「快速」と、新宿から甲府・松本方面に向かうトイレありの「普通」は別の列車として存在しており、新宿からの列車は高尾までは三鷹、立川、八王子にしか停車しなかった。
ところが、甲府・松本方面へ向かう普通列車が立川や高尾発となり、高尾より西へ行くには乗り換えが必要となった。高尾を過ぎると利用者が大幅に減少し、列車の本数も少なくなる。そのため、高尾より東側では10両編成の通勤型電車、西側では6両編成の近郊型電車というすみ分けが行われるようになった。
その一方で1986年に大月まで特別快速などの運行が行われるようになり、次第に本数も増えていった。しかし、この区間にはある問題があった。東京から高尾までの区間であれば、一旦どこかの駅で降りてトイレを利用しやすいが、高尾から大月までの区間では列車の本数が少なく、気軽に降車ができないことだ。そのため、都心部のような通勤型電車で、中距離移動を強いられる状況が発生していた。
東海道本線などの路線では、都心部にもトイレ付き車両が導入されているが、中央快速線には長らくそうした設備がなかった。東京から大月まで乗り通す利用者がいるにもかかわらず、快適な移動に必要な設備が整っていない状態が続いていたのである。
次の「新幹線」はどこか 計画をまとめると“本命”が見えてきた?
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東京で隣の駅が「近すぎる」路線が存在するワケCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
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