実は、雪塩さんどが誕生した背景にあったのは、こうした既存ビジネスの行き詰まり感だった。西里社長は、「時代の変化とともに、自宅で料理する人が減りました。また、塩の専門店というのは、塩の魅力を言語化してお客さまに伝え、興味を持ってもらうというプロセスが必要なため、日本人による、日本人のための、日本のサービスだったのです」と、当時の状況を振り返る。
日本における塩のマーケット縮小に加えて、海外からの観光客の増加が新たな課題として浮かび上がってきた。
「せっかく塩の楽しさ、おもしろさを言語化して体系化していったのに、言葉が通じない、食文化が違う、そもそも興味を持ってないというお客さんが増えていきました」
試行錯誤の末、西里社長が行き着いた答えが、「言葉がいらない商品・サービス」開発の必要性だった。
「お菓子なら万国共通で、おいしければ売れる。キャッチーなパッケージで販売し、味が本当に納得いくものだったらいけるはず」
こうして同社は、菓子メーカーとしての新たな一面を強化する方向へとかじを切ったのである。
もともと菓子も製造・販売していたものの、主力はあくまでも調味料としての雪塩だった。その中で、菓子事業をブラッシュアップし、その目玉として開発したのが、雪塩さんどだった。
では、雪塩サンドはどのような着想から生まれたのだろうか。
サンドというアイデア自体は、以前から菓子事業で協業していた寿製菓(鳥取県米子市)からの提案だった。しかし、味に関しては、西里社長のこだわりが強く反映された。
「私たちが作る菓子には“理想の味”があります。ボリュームがあり、濃厚かつリッチな味わいを持たせつつも、後味はすっきりと切れのいい感じに。一般的にリッチな味というのはすごく余韻が残るのですが、それを塩で切るイメージです」
そうした理想型があり、そこから逆算して味を組み立てていったという。
「『売れるためには、こういう味でなければならない』というイメージが、私たちにはある。その味に近くなると、売れるんです」と力を込める。
雪塩さんどの開発には半年以上の歳月をかけ、毎週のように試食。具材を入れてみたり、食感を変えてみたり、味を変えてみたりと、工夫を重ねた。
最終的なジャッジをするのは、西里社長自身だった。
「ゴーサインを出すには、当然食べないとダメ。セブン−イレブンの鈴木(敏文元会長兼CEO)さんの話ではないですが、やはり食べなければ分からない。最終判断は、他人に任せてはいけないと思っています」
この哲学と徹底が、雪塩さんどをはじめとする同社のヒット商品を支えている。
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