――10年以上の長期にわたり事業を続ける中で、撤退を考えたこともあったのでしょうか。
やはり医療・福祉分野への進出は先行投資が大きく、施設建設など多額の資金が必要です。そのため、教育事業の利益を投資に回すなど、リソース配分を常に見極めながら進めてきました。今でも「どこに優先的にリソースを投じるか」という判断は、重要な経営課題です。
例えば、ココファンの新規開設やまちづくり、グローバル教育への投資など、案件ごとにグループの目指す姿にどれだけ近づけるかを考え、優先順位を決めています。幸い、現在は財務的な健全性も保てているため、両輪での投資が可能ですが、将来的にどちらかを選択しなければならない局面が来るかもしれません。その時は、グループとしてのビジョンに最も近づく選択をしていくつもりです。
――こうした意思決定は、年に1度まとめて行うのでしょうか。
いえ、意思決定の機会は毎月あります。むしろ、毎月のようにチャンスがあればすぐに議論が始まりますし、経営陣もどこからともなく新しい案件を持ち込んできます。経営陣自身が積極的にチャンスを探している、そういった雰囲気がありますね。
――案件はセントラル(本社)主導で集約するのでしょうか。それとも各事業会社から上がってくるのでしょうか。
両方あります。各事業会社から上がってくる案件は、規模としては比較的小さめなものが多いです。既存事業の戦略の延長線上にある案件が中心です。一方、セントラルで扱うのは、グループ全体の戦略に関わるような大きな案件で、各事業会社の枠を超えたものが多いですね。
――M&Aは多くの企業が挑戦してもなかなか成功しない分野です。学研グループがここまで成功している要因はどこにあるとお考えですか。
M&Aが本当に成功したかどうかは、本来は10年以上経ってみないと分からないものです。私が入社してからの5年間で売上高は420億円ほど増えましたが、営業利益は18億円ほどしか増えていません。当期利益に至っては、ほとんど増えていないのが実情です。M&Aは「足し算」になりがちで、買収時にはバラ色の成長戦略を描きますが、実際には利益の出ていない会社が集まるだけの状態になることも少なくありません。
そこからPMI(統合プロセス)や戦略、人材の入れ替えなどを通じて、ようやく財務指標に近づけていきます。今は「くっつけただけ」の案件もありますが、例えば2018年に買収したMCSは7年が経ち、グループトップレベルの売上高・利益を生み出すまでに成長しました。これは買収したこと自体も正解でしたが、統合の仕方やグループへの関与のさせ方が成功の要因だったと考えています。
一方で、くっついただけで終わってしまった案件もあります。どのタイミングでどのように本格的なテコ入れをするかが重要で、買った時点で満足して終わってしまうのは避けなければなりません。
――経営者の交代や入れ替えはどうしていますか。
基本的に経営者の入れ替えはしていません。相手側が望めば対応しますが、望まない場合は基本的に現経営陣でやってもらう方針です。ただし、グループの中で補強が必要な場合には人材を送り込むこともありますし、必要に応じて外部から人材を招くこともあります。
――MCSのPMIが成功した要因を、どのように分析していますか。
これは本音と建前があるのですが、やはり「学研グループの一員である」という意識を社員にいかに浸透させるかが大きなポイントです。例えば、MCSの社長を学研グループの取締役会のメンバーにすることで、グループ全体の戦略を自然と意識するようになります。自社だけのPL(損益計算書)や社員の処遇だけを優先するのではなく、グループ全体の最適化を考えるようになる。これが大きな変化です。
また、横のつながりや人材の流動性も高まります。例えば学研本体で余剰人員が出た場合、MCSで新しい事業や出版にチャレンジしてもらう発想が生まれます。実際、MCSでは認知症関連の出版事業も始めており、これが意外と好調です。こうしたグループ内のシナジーが、PMI成功の大きな要因だと考えています。
――グループ全体としてのシナジーやブランド活用はどうしているのでしょうか。例えばMCSの出版事業では、学研ブランドを使っていませんよね。
MCSの出版事業では、あえて「学研」ブランドを前面に出していません。それでもしっかり売れています。実際、今出版を担当しているのは学研の出版部門出身のメンバーです。これが、もし学研の一部門としてやっていたら、なかなか新しいことに挑戦しづらかったかもしれません。
最初に売れ行きが芳しくなかったり、少ない部数しか出せなかったりすると、そのためだけに編集者を採用するのも難しいです。出版部門の論理で「やる・やらない」が決まりがちですが、MCSでは「認知症の本だけを出したい」という強いニーズがあったので、スピンオフ的に独自で出版事業を始めた経緯があります。
――逆に、M&Aで失敗するパターンにはどんなものがありますか。
明らかに失敗するパターンは、やはり学研側が一枚岩になっていない場合です。相手のせいにするのは簡単ですが、学研グループの取締役や役員が「この会社を買うんだ」「こうやって育てるんだ」という意思をしっかり共有できていない案件は、やはりうまくいきません。社内で首をかしげながら手を挙げているような状態だと、向こう側の経営者との間にも齟齬が生まれます。
カウンターパートが1人しかいない状態も、失敗のもとです。案件を持ち込んだ人が「この社長と一緒にやりたい!」と強く思っていても、周囲が本気で賛同していないと、結局はその1人同士のやりとりになってしまい、シナジーも人材交流も生まれません。
お互いにとって良い結果が出ない場合は、「やめましょうか」という話になることもありますし、実際にそういう大きな案件もありました。人材交流がないままストップしてしまい、連結財務諸表上は「くっついている」だけというケースもいくつか経験しています。
――やはり相互理解や「情報の非対称性」の解消が大切ということですね。
その通りです。学研グループのカルチャーや人間性、価値観がどこかズレていると、社内でも疑問を持つ人が多くなります。それでも突っ走って買収してしまうと、その後の統合が非常に難しくなります。結局、原因と結果が逆転してしまうことも多いんですよね。ですから、事前の相互理解や価値観のすり合わせが何より重要だと実感しています。
連載「学研の変貌」2回目【学研HD新体制の舞台裏 コンサル出身経営者が挑んだ「ブランド統合とDX」】、3回目は7月25日の午前8時に公開予定です。
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ディップは、小さく生成AI導入を開始。今では全従業員のうち、月間90%超が利用する月もあるほどに浸透、新たに「AIエージェント」事業も立ち上げました。自社の実体験をもとに「生成AIのいちばんやさしいはじめ方」を紹介します。
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