生成AIの急速な進化は、クリエイティブの現場に期待と不安の両方をもたらしている。AIは人間の仕事を奪うのか、それとも新たな創造のパートナーとなるのか。
この問いに対し、「使いこなした人が勝つ」と断言するのが、KADOKAWA元副社長の井上伸一郎氏だ。井上氏はアニメ雑誌『月刊ニュータイプ』の創刊に携わり、「ガンダムの生みの親」と呼ばれる富野由悠季監督の担当編集者として、長年にわたりその思考を整理する“壁打ち相手”を務めてきた。巨匠の膨大なアイデアを受け止め、メディアミックス戦略の開拓者としてクリエイターの才能をビジネスにつなげてきた人物だ。
かつて富野監督との対話から未来を見通す思考法を学んだ井上氏は、AIという「新たな知性」の登場をどう見ているのか。そして、テクノロジーが進化する中で、人間の編集者やプロデューサーはどう戦うべきなのか。【KADOKAWAメディアミックス戦略の舞台裏 異例だった「出版社の上場」から得たものは?】に引き続き、井上氏に聞いた。
井上伸一郎 作家・プロデューサー。1959年生まれ。1987年ザテレビジョン(現KADOKAWA)入社。雑誌編集者、マンガ編集者、アニメ・実写映画のプロデューサーを歴任する。2007年に角川書店社長。2019年にKADOKAWA副社長に就任。現在はZEN大学客員教授、コンテンツ産業史アーカイブ研究センター副所長。合同会社ENJYU代表社員。新著に「メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史」(星海社新書)――井上さんは1985年に創刊された雑誌『月刊ニュータイプ』の編集長も務め、ガンダムの富野由悠季監督とも長い付き合いがありますが、どのような方だと感じていますか。
非常に頭の良い方です。私は編集者時代、1980年代に『ニュータイプ』という月刊誌で約6年間にわたり毎週のように富野さんと2人で話をしてきました。ほとんど彼のアイデアを聞く役で、いわば壁打ち相手を務めていたわけです。その過程が自分にとって大きな財産になりました。
富野さんの思考は演繹的なんです。日常のちょっとした出来事や社会情勢、CMのワンシーンなども全部先の未来につなげて考えていく。そうした思考法を常に実践している方でした。私自身そこまで頭が良いわけではないのでまねはできませんが、それでも「こうすればこうなる」という未来を意識して物事を捉える習慣は、富野さんから学びました。悪い予兆も良い可能性も先を見て考える。そういう姿勢を日々実感させられてきました。
――富野監督の「壁打ち相手」を務めた際に、心がけていたことはありましたか。
素直に聞くことですね。これが一番重要だと思っています。人の話を聞く時に、自分の意見を語ってしまう人は意外と多いんです。でも、私はなるべく自分の意見を差し挟まず、相手の言葉に耳を傾けることを大切にしてきました。
今もドワンゴのZEN大学でインタビュアーとして研究プロジェクトに関わり、アニメやマンガ業界の歴史を築いた方々にお話をうかがうのを仕事にしています。そこでも常に心がけているのは同じことです。相手がどういう思考で語ろうとしているのかを素直に受け止めること。それによって相手の考えが自然と整理され、深まっていくんです。
――それは相手の思考を引き出すためですか。
そうです。富野さんに限って言えば、自身の考えを整理するために語っている部分が大きいのだと思います。話している中で政治や環境問題からロボット兵器のディテールまで、あらゆる事柄がつながりを持っていく。そうした思考の展開に耳を澄ませることが大切なんです。40年近く前のことですが、一番印象に残っているのは民主主義についての議論でした。当時すでに「民主主義は行き詰まっている」と富野さんは語っていて、プロセスが重視されることでかえって何も決まらず、政策が進まないことに民衆は疲れていると、現状に厳しい視点を向けていました。
――具体的にはどんな議論だったのでしょうか。
富野さんは「これからは独裁が台頭するだろう」と言ったんです。「間違えのない独裁が一番いい」ともおっしゃっていました。しかし当然ながら独裁には間違いがつきものであり、また他者に利用されやすい。現実的にはありえないですよね。
しかしその後の世界の流れを振り返れば、権威主義がさまざまな場面で顕在化しているのは事実で、富野さんはそうした趨勢を演繹的に予見していたのです。こうした議論を通じて私は思考実験の相手を務めることができ、それが自分の大きな糧になりました。
――編集者の役割は、作家によっても変わってきますよね。いろいろな幅があるものなんでしょうか。
そうですね、ここは本当に作家によって変わります。全く編集者に相談しない方もいれば、富野さんのように壁打ち相手を求める方もいます。話すことで新しいアイデアを組み立てていく人ですね。昔は文壇バーと呼ばれる作家や編集者の集まるサロンのような場所がいくつもあって、作家と一緒に飲みながら作品のアイデアを練るようなことがよくありました。
しかし、そうした習慣や文化は今ではほとんどなくなり、作家と編集者の関係性も大きく変わっています。現代のマンガ編集者の中にはほとんど作家に会わず、メールだけでやり取りする人も多いようです。手塚治虫さんの時代には、出版社の担当者が何人も作家の自宅に並んで順番を待ち、できあがった原稿を受け取っていたという話もあるほどですから、いかに時代とともに編集者の仕事ぶりが変わってきたかが分かります。
今は逆に編集者が、どうすれば作品をより売れるか、どう受け止められるかを考える比重が増していると感じます。メディアミックス戦略の中核のポジションです。時代の変化がそのまま作家と編集者の距離感にも影響しているわけですね。
――近年は生成AIの進化もあります。井上さんはAIについてどうお考えですか。
AIはもうなくならないと思います。ですから否定しても仕方なく、いかに上手に使っていくかを考えることが大事です。これはアニメの現場にCGが導入されたときとも似ています。当初は否定的な声も多かったのですが、今やCGを使っていないアニメ制作現場の方が珍しくなっています。
要するにAIも「使い方次第」なのです。確かにAIに仕事を奪われる懸念はありますが、逆にAIに任せられる部分があるからこそ、人間にしかできないこと、つまり本当のクリエイティブを突き詰めて考える機会になるのだと思います。
AIの答えは、何を学習させるかによって全く変わります。私は専門家ではありませんが、制作現場で実験している方の話を聞くと、その使い方一つで成果が大きく違ってくると分かります。例えば新潟で荒牧伸志監督がAIの使い方の講演を行いました。Netflixの『ULTRAMAN』の映像にAIを使って処理を施すと、一気に映像のクオリティが向上するのを見せていただきました。これは人間の創造性を奪うのではなく、むしろ補強する使い方の好例だと思います。
――AIが人間の「壁打ち相手」になる可能性については、どうご覧になりますか。
それは正直分からないですね。元放送作家の鈴木おさむさんも言っていましたけど、数年前は「これはAIにはできない」とされていたことも、今では普通にできてしまっています。シナリオの分野でもそうなんですね。
ですから、将来的にAIが私のデータを学習して「井上のAIツイン」として会話の相手を務められるようになるかもしれない。結局一番怖いのは、どこまで進化するのか科学者や研究者にも分からないことなんです。でも進化自体は止まらないので、それを否定するのではなく、どう正しく活用するかを考えた人が結果を出せると思っています。
――AI時代における編集者やプロデューサーの役割は変わっていくと思いますか。
役割は間違いなく変わっていくでしょう。AIが壁打ちの相手をしてくれる時代が来ると思いますし、すでに試している人もいるでしょう。そうなると、編集者自身は別の役目を担うことになります。
私は編集者をサービス業だと考えています。作家や読者に対してどのような新しいサービスを提供できるのか。それを発想するのが肝心だと思います。これからの編集者やプロデューサーは、そこに力を出せる人が成功するのではないでしょうか。
――編集者としてご自身が注力していたことは、具体的にどんなことですか。
その作家がまだやっていないことをやっていただくことです。例えばとあるアニメ監督に小説を書いていただいたことがありました。私は「この方は絶対に小説が書ける」と思って執筆を勧めたのですが、案の定とても上手に書き、本人も満足だったようです。
作家が新しい可能性を発揮できる場を示すことが、編集者の仕事の一つだと思っています。極端に言えば、今まで恋愛小説ばかり書いていた方にミステリーを書いていただく、といったような挑戦ですね。ある作家の例では、青春モノの作品を書いていたのですが、私は「あなたはミステリーも書けるはずだ」とアドバイスしたんです。その結果、その方は見事に別ジャンルの作品を成功させました。
――それはつまり、才能を「見いだす」というよりも、「違うものを書かせてみる」という側面が大きかったのでしょうか
そうですね。見いだすというよりは、新しい可能性を提示するといった感じでしょうか。担当作家に違う扉を開いてもらえたことはうれしい体験です。
――そうした可能性を見抜く時は、やはり直感なのですか。
直感です。ただし、その直感も何らかの蓄積がないと生まれないと思います。自分の中で何を糧にしてきたのか正確には分からないけれど、小説を読む、映画を観る、そういう日々の積み重ねがどこかで判断を支えるのだと思います。
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