負債2億円から売上35億円へ 「自分の代で潰す」と決めた二代目の“悪あがき”が最強のチームをつくり出すまで(2/6 ページ)

» 2026年02月16日 07時30分 公開
[スギモトアイITmedia]

負債は2億円 両親を恨まないための事業継承

 清松氏が実家の清松総合鐵工に戻る決意をしたのは、三井造船に新卒入社して6年目が過ぎた1992年のことだった。きっかけは、バブル崩壊の余波による二度目の倒産危機である。

 バブル崩壊の数年前、清松総合鐵工はその勢いに乗って事業を拡大。かつて「掘っ立て小屋」のようだった工場が2億円を投じた巨大な施設に様変わりしているのを目にして、清松氏は驚いたという。

 しかし、その華やかさは泡に過ぎなかった。インターネットもなく情報のタイムラグがあった当時、東京で始まったバブル崩壊の波が地方に届くまでには3年ほどを要した。両親は「1990年代はまだ大丈夫」と考えていたが、実際には工場の建て替え資金を含め、全てが借金で賄(まかな)われていたのである。

両親で経営していた当時の清松総合鐵工

 突きつけられた負債額は、約2億円。一度目の倒産危機のタイミングで、会社の連帯保証人になっていた清松氏は頭を抱えた。

 「このまま会社が潰れて多額の負債を背負えば、大好きな両親を恨んでしまうかもしれない」――そう考えた清松氏は、1つの答えにたどり着く。それは、自分が会社を継ぎ、自分の責任で幕を引くことだった。

 父親は当時、死に場所を探してクレーン車の上によじ登るほど精神的に追い詰められていた。母親から泣き声まじりの電話を受け、清松氏は三井造船の上司に「親父が自殺しかけている、実家が危ない」と伝えて退職。両親には「俺が後を全部見るから」と告げ、清松総合鐵工を引き継いだ。

 「自らの責任で潰すために入社したのだから、何があっても失うものはない」と開き直った清松氏は、座して死を待つのではなく、恐れずに悪あがきをしようと決意する。

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