西武グループと渋谷の関係はかなり古い。大正時代、西武グループの創始者である、箱根土地(現・コクド)の堤康次郎が道玄坂エリアの一角を買収し、名店を集めた「百軒店」を開発した。被災した下町の老舗飲食店や劇場を、当時は新開地だった渋谷に誘致。無からにぎ賑やかな盛り場を鮮やかに創り出した。現在の渋谷の繁栄の土台を築いた。
一方、東急グループの創始者、五島慶太は1927年、渋谷と現在の横浜駅の近くを結ぶ東京横浜電鉄(現・東急東横線)を開通させた。1934年には渋谷駅に東横百貨店を構築し、駅周辺ににぎわいを創り出した。
このように、駅前の東急、ストリートの西武は、渋谷開発の二大勢力であり、堤康次郎の跡継ぎである堤清二が渋谷に着目したのも、西武の歴史を踏まえてのものだ。
西武渋谷店は、A館とB館を空中回廊が結ぶ、独特の構造になっている。駅側のA館はレディースファッション、食品、化粧品などを配置。B館にはメンズファッション、デザイナーズブランド、現代アートのギャラリーなどを配して、両館をストリートのように行き交うのがコンセプトだった。どっしりと構えた造りのオーソドックスな百貨店ではなく、路面の延長線上にあるような新しい百貨店の在り方を提案した。
往年の西武渋谷店には、DCブランドと言われた、世界を目指す日本発のファッションデザイナーたちがしのぎを削った。山本耀司(ヨウジヤマモト、ワイズ)、三宅一生(イッセイミヤケ)といった精鋭のデザインした服が並び、さながらアパレルの梁山泊であった。
一般的な百貨店は売れ残りをメーカーに返品する委託販売が一般的だったが、西武百貨店はSEED館(現・モヴィーダ館)などでバイヤーが商品を買い取って販売し、まだ売り上げが小さく資金力が乏しかった才能あるデザイナーたちを支えた。現在のモヴィーダ館は無印良品が入居している。このモヴィーダ館とロフト館は、西武渋谷店を経営するそごう・西武の所有であり、西武百貨店の閉店後も存続する。
カインズに売られた「東急ハンズ」は、なぜライバル「ロフト」と差がついたのか
相次ぐ閉店――ロフトとハンズ、巨大店舗が直面した”壁”とその“打ち手”とは?Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
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