小林暢子
戦略系コンサルティングファームを経て、BIG4のパートナーを7年半務める。現在フリーの経営コンサルタントとして活動。ビジネススクール卒業後、米国での勤務経験あり。多文化的な視点から、日本語・英語の両方でオピニオンやコラムを執筆中。
2026年6月12日、誰もが予想していなかった事態が起きた。
同日、日本を含む世界が、米国の最新AIモデルにアクセスできなくなった。米政府が、米Anthropic社に対して「Claude Mythos 5」と「Claude Fable 5」を使う外国人のアクセス停止を要請した(Anthropicは輸出管理の適用と説明している)。国籍の確認が難しいとして、同社は全利用者への提供を止めた。
Claude Fable 5の停止は、3週間近く続いた。日本を狙った措置ではなくても、私たちは巻き込まれた。「AI開発」という車の運転席に座らない「乗客」であることのリスクが、目に見える形になった出来事だった。
献立の相談、会議の要約、メールの草稿作り――AIは日常にすっかり入り込んでいる。交通や行政、防衛といった社会基盤の裏側でも、システムにAIを組み込む動きが加速している。広範囲に及ぶ“AI依存”には、根源的なもろさが潜む。
AIの手綱を外国に握られていれば、自国の事情や文化が反映されにくいだけでなく、関係が悪化したとき、生活や社会基盤に欠かせないAIを“人質”に取られかねない。AIは石油やレアメタルと同様、経済安全保障上の戦略物資であり、私たち利用者は地政学とAIの交差点を常に意識する必要がある。
“乗客リスク”は、気付かぬうちに増すこともある。米国の先端AIは、モデルの中身にあたる「重み」(学習の成果を数値にしたもの)や学習データを公開しない「クローズド型」で発展した。一方、中国は重みを公開する「オープンウェイト」型が主流で、その多くは誰でも無料でダウンロードして実行・改変が可能だ。中国はこれを武器に「囲い込まないAI」を掲げ、グローバルサウスへの浸透を図っている。ただし、学習データや学習の過程は非公開のことが多い。手元でカスタマイズできても、中国出自のAIが中国共産党の思惑をどこまで反映するかは、外からは見えにくい。ここにも、AI競争に透ける地政学的な意図がある。
こうした事情から、自国で使うAIが地政学上の駆け引きの道具にされる事態を防ごうと、先進国は「国産AI」の開発に力を入れている。日本の目玉が、ソフトバンク、本田技研工業、NEC、ソニーグループの4社を中核に、国内44社が出資するNoetra(ノエトラ、東京都渋谷区)だ。「基盤モデル」の開発を掲げ、7月に本格始動した。
Noetraは、産業技術総合研究所(産総研)とともに「フィジカルAI基盤技術」の開発に取り組んでいる。同官民プロジェクトは、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の公募に採択された。経済産業省とNEDOは、開発委託費として2026年度に、プロジェクト全体で約3873億円を支援する。2027年度以降は成果に応じて継続が判定され、5年間の支援は総額1兆円規模に達する可能性がある。
Noetraの丹波広寅社長は、ソフトバンク出身だ。8月の日経クロステックのインタビューで、競合にもなり得る民間企業44社が力を合わせる機会は珍しいとして「これだけの体制はもうそろわないでしょうね」「これがラストチャンス」と述べた。失敗すれば後がない、という覚悟の表明だ。
経済産業省が主導するフィジカルAI基盤モデル構築プロジェクト「FRONTia」の発表イベント(7月16日開催)。Noetraと同社への出資企業トップなどがそろった。写真前段、左から2番目がNoetraの丹波広寅社長(出所:FRONTia発表イベントのレポート)「ラストチャンス」には、もう一つの読み方ができる。外部環境が厳しいのだ。テキストを扱う大規模言語モデル(LLM)の領域は、米中の二極が際立っている。複数のAIモデルを使う際の中継サービス「OpenRouter」のデータによると、AIの処理量を示す「トークン」の消費量におけるシェアは、6月時点で中国製モデルが55%、米国製モデルが43%だった。米国勢は豊富な計算資源に支えられた高い性能が強みで、中国のLLMは低コストを武器に急伸している。丹波社長は米中とは別の「第三極としての選択肢」を掲げるが、LLMではすでに追う立場にある。
OpenRouterを通じて処理されたトークン数に基づくランキング。9月最終週のデータでは、1位の「DeepSeek」など複数の中国製モデルがランクインしている(出所:米OpenRouterのWebサイトのキャプチャー)
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