夢を追い、悩み苦しんだ沖縄での下積み時代:MAX・LINA「私なりのプロフェッショナル論」(3/4 ページ)
小学生のとき、おニャン子クラブに憧れて歌手になることを目指しました。沖縄から東京へ出てデビューするのを夢見て毎日レッスンに励みましたが、チャンスになかなか恵まれず年月は過ぎていきました――。
人生に悩んでいたころ、聞こえてきた音楽に……
養成所に通うようになってから月日が経ち、周りの子たちが次々とデビューしていきました。「私も早くあこがれの東京に行きたい」と願いつつレッスンに励んでいると、ついに私も3人組でデビューすることが決まりました。当時人気だったC.C.ガールズのようなグループとしてでした。
すぐさま東京に行き、宣材写真の撮影やレコーディングをするなど、デビューに向けて着々と準備をしていました。ところが、いろいろな事情があってデビューは白紙となり、また沖縄へ戻ることになってしまいました。
その時、私は16歳でした。
ずっと夢見ていたことがあと一歩のところで立ち消えてしまったことは尾を引き、私の気持ちにも変化が起こり、現状に悩みを持ち始めました。
「このままレッスンだけをし続けていてチャンスはあるのか?」
「養成所をやめて、東京に住んでオーディションを受けたほうが良いのではないか?」
あんなに楽しかったレッスンが苦痛で、先の見えない将来に希望を失ってしまったんです。
そんなとき、ジュークボックスから流れてきた横山輝一さんの『SOMEDAY』という曲に強い衝撃を受けました。
「夢は一つ残らず 叶うと信じてる 答えを出せなくても SOMEDAY 分かりあえる」
この歌詞が、私の胸に直球で突き刺さり、夢を手放そうとした情けなさと同時に、純粋に夢を追いかけていた初心のころの思いがよみがえってきたんです。生まれて初めて音楽の力を味わった瞬間でした。
「もう一度頑張ってみよう!」
私は再び毎日、歌手デビューに向けてがむしゃらにレッスンに打ち込みました。このころには、自分のレッスンに加えて、講師役としての役割も大きくなっていたので、朝から晩までずっと養成所で過ごす日々でした。
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