謀略を繰り返した真田昌幸、それでも守りたかったのは……:「真田丸」を100倍楽しむ小話(1/2 ページ)
戦国武将きっての戦略家だった真田昌幸。さまざまな大名の下を転々とし、謀殺した武将は数知れず。そんな昌幸でしたが、変わらずに守り続けたものとは……?
「真田丸」を100倍楽しむ小話
この連載では、歴ドル&信州上田観光大使を務める小日向えりさんとともに、NHKの大河ドラマ「真田丸」に登場する人物、あるいは名シーンなどを取り上げて、よりドラマを楽しめるような情報や小ネタをお伝えしていきます。連載バックナンバーはこちら。
編集部F: 先週(9月25日放送)のラスト、分かってはいたけど衝撃的でした。「一人の戦国武将が死んだ」という有働さんのナレーションが、重く、切なかったです。ついに真田昌幸が……。
小日向: ”草刈昌幸”亡くなってしまいましたね。真田丸で主人公は真田信繁ですが、昌幸は主役級だったので、周囲でも「昌幸ロス」になっている人たちがたくさんいますよ。真田幸村14代ご子孫の真田徹さんは昌幸公が大好きすぎて、先週の第38回「昌幸」は観ることができないとおっしゃっていました。元気な昌幸さんを心の中にしまっておきたいそうで……。そのお気持ち、よく分かります。
編集部F: 実はこれまでこの連載で昌幸を取り上げたことはありませんでした。ドラマではもう亡くなってしまいましたが、今回は昌幸についていろいろと教えてください。一体どんな人物だったのでしょう?
小日向: とにかく楽天的で明るい人物だと思います。先週のドラマの中でもその片鱗を見せていましたね。周囲がひいてしまうくらいの(笑)。三谷幸喜さんが一番好きな武将だとおっしゃっていました。私にとっても草刈正雄さんが演じる昌幸公が、本当にそのままのイメージなのです。
編集部F: 戦略家としても知られた武将でした。
小日向: 九度山に蟄居(ちっきょ)させられていたときも、「自分ならば徳川軍をこうやって蹴散らす」などと秘策を息子・真田信繁に語っていたという話があり、常に戦略のことばかりを考えていたそうです。
戦略家としての一番の真骨頂は、たった半年間で徳川、北条、上杉の元を転々とし、ついには家康をスポンサーに上田城を建ててしまったことです。これこそ昌幸のすごさを象徴しています。
編集部F: ちなみに昌幸は直接的に戦で敗れたことはあるのですか?
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