何歳になってもピンチがあれば成長できる:MAX・LINA「私なりのプロフェッショナル論」(3/5 ページ)
40歳を目前にして、人生初の海外暮らし、海外留学を決行しました。「なぜこの年齢で?」と思う人もいるでしょうが、夢を持つことや挑戦することに年齢制限なんてありません。今回はそんな留学先での大ピンチエピソードをお話しします。
留学初日にいきなりピンチ……!
12月某日、日本から約10時間の空の旅を楽しみ、ロサンゼルス空港に降り立ったのは現地時間の午前11時でした。空港に到着したその足で向かったホームステイ先では、家主の女性と3歳になる息子、そして黒いワンちゃんが出迎えてくれました。
ホームステイと言えば大家族というイメージを勝手に抱いていた私にとって、ちょっぴり意外な展開でしたが、それでも今日から3カ月間お世話になる家族なので、心は高揚感で一杯だったのを鮮明に覚えています。
「Hi! Nice to meet you!」
玄関先で簡単な挨拶を交わした後、私はいつものように靴を脱いでお邪魔しようとしたのですが、米国では土足がスタンダード。靴のままでOKだったのです。
「うわー、この感じ!」。子どものころ、映画で観たアメリカンスタイルにカッコ良さを感じた私にとって、それを自ら体感できたことが何より嬉しくて、思わず頬が緩んでしまいました。
ただし、そんな喜びもつかの間、留学生活初日にして最大のピンチが訪れました。ホームステイ先が清潔とは言い難いお宅だったのです。
最初に通された大きなリビングから鼻をつくようなカビ臭がして、気になってはいたのですが、家の中を案内していただくと、各部屋の天井の四つ角にはほこりがたまっていて、窓拭きもずいぶんご無沙汰のようでした。そんな予期せぬ惨事にトーンダウン、徐々に不安がこみ上げてきてきました。
渡米前に留学を手配してもらった会社から、米国は湯船につかるのではなくシャワー文化なので入浴は10分程度の短時間で済ませるようにとか、食事の献立もホームステイ先によって多種多様だからなどとレクチャーを受けていたので、日本のように何不自由なく暮していた生活はできないだろうなと覚悟していました。けれども、それ以上に海外留学に対する私の思い入れが強かったからか、思い描いていた理想と現実のギャップに打ちのめされてしまい、初日から心の中で大粒の涙を流すありさまでした。
それでも泣き言をいうわけにはいかないし、もちろん帰国する選択肢もありません。持ち前のポジティブシンキングで生活環境を変えていこうと、さっそく自分の部屋の大掃除を始めました。
本音を言えば、長旅で疲れた身体を休めるべくベッドにダイブしたかったのですが、ハウスダストのアレルギー持ちの私にとって最低限の環境対策はマスト。異文化での生活、予期せぬハプニングやトラブルはつきものだということを身をもって体感することになりました。
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