何歳になってもピンチがあれば成長できる:MAX・LINA「私なりのプロフェッショナル論」(4/5 ページ)
40歳を目前にして、人生初の海外暮らし、海外留学を決行しました。「なぜこの年齢で?」と思う人もいるでしょうが、夢を持つことや挑戦することに年齢制限なんてありません。今回はそんな留学先での大ピンチエピソードをお話しします。
途方に暮れたクリスマス・イブ
衝撃の留学初日から2週間後、私は一人暮らしを始めました。
初めての海外生活、せっかくの時間を無駄にはしたくない、絶対に楽しい経験にしたいという思いを最優先にしたのです。
留学前、宿泊の形態は「ホームステイ」「寮」「一人暮らし」「シェアハウス」など複数から選択可能だったので、最後の最後まで迷っていたのです。最も自分らしく過ごせるのはどのスタイルなのか、それを最優先に考えたつもりですが、どれも一長一短なんですよね。
例えば、ホームステイは家に帰ってもネイティヴの英語が学べる良さがある一方で、ホストファミリーの生活習慣に合わせなければいけません。かたや、一人暮らしは自分だけの快適な生活が送れるけれど、家に帰ったらネイティヴの英会話に触れることができない。
迷った末に出した結論は、「だったら、両方体験すればいい!」。
不安もありましたが、米国で憧れの一人暮らしを経験するべく、物件探しから始めました。まず取り掛かったのは、不動産屋を1軒ずつ訪ねるのではなく、ロサンゼルス在住の友人から空き部屋シェアサイトを教えてもらいました。
さっそくサイトにアクセスし、物件の希望として「部屋のキレイさ」「治安の良さ」「交通が便利」といった項目をチェックして検索スタート。すると、家具付きの物件で私の条件に合うアパートメントがヒットしました。それから辞書を片手に仲介業者にアポ取りのメールを作成して、送信。
ここまでは特にトラブルもなく、順調でした。ですが、直接会って話をするとなると相応の英語力が求められるわけです。初めて言葉のカベにぶつかりました。希望物件の申込みが受理されるまでは良かったのですが、意思疎通がうまく取れなかったこともあって、結局その物件は他の方に契約が決まってしまったのです。
またもやピンチに見舞われました。希望物件の契約が決まると思っていたので、ホームステイ先には翌日に引っ越しすることを伝えていたんです。今思えばとても甘い認識でした。
そんな事情ですから、何とかその日中に次の住まいを見つけなければならず、余計に焦ったことで、さらなる災難に見舞われる羽目に。藁(わら)をもつかむ思いで別の物件を用意しているという仲介業者からの提案に乗ってしまい、まんまと“おとり物件”にハマってしまったのです。相場よりかなり高額な契約金を支払うことになりました。
この日はクリスマス・イブ。改めて振り返ってみてもイタイ経験でした……。
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