30周年のアサヒビール本社 異彩を放つビルはなぜできた?:ビール2億本分の“巨大ジョッキ”(2/4 ページ)
東京・隅田川のほとりに建つ、ビールジョッキの形をした「アサヒグループ本社ビル」と、巨大なオブジェが載った「ホール棟」。創業100周年記念として建設されてから30年。今もランドマークとして親しまれている。この目立つビルに込められた意味とは?
現在、本社ビルが建っている土地は、かつて同社の「吾妻橋工場」があった場所だ。吾妻橋工場の歴史は長く、1900年(明治33年)に土地を購入して工場を建てたことが始まりだという。1924年(大正13年)夏には、敷地の一角に数寄屋風のビアホールを建て、近隣の人たちでにぎわっていた。
そんな吾妻橋工場も、会社の業績悪化とともに苦境に陥っていく。高度成長期を経て、激しい市場競争にさらされ、アサヒビールのシェアはどんどん低下していった。1980年代に入ると資産整理を余儀なくされ、吾妻橋工場の土地は売却対象になった。
その苦境を救ったのが、現在に続く看板商品「アサヒスーパードライ」だ。1987年に発売したこの商品が会社を変えた。その前年に発売した「アサヒ生ビール」に続いて、“キレ”のあるすっきりとした味わいのアサヒスーパードライが大ヒット。会社を取り巻く状況は一気に変わった。
会社の業績が回復したことによって、87年10月、売却した旧吾妻橋工場の跡地の一部を住宅・都市整備公団から買い戻すことができた。そしてその場所に、創業100周年事業として新しいビルを建設することが決まった。つまり、スーパードライがヒットしたからこそ、あのビルは誕生したのだ。
こうして、ビールをかたどった「アサヒビール吾妻橋ビル」と、巨大なオブジェが載った「アサヒビール吾妻橋ホール」(いずれも当時の名称)が建設された。「ビール会社のシンボルとして、記念になるデザインを当時の経営陣が要望したのではないか」と担当者は話す。
関連記事
- 「丸ビル」の17年 なぜ“オフィス街・丸の内”は変わったのか
再開発が加速する東京・丸の内。エリアを代表する建物が、2002年に開業した「丸ビル」だ。丸ビル建て替えを機に、“オフィス街”の丸の内は大きく変わった。丸ビルが変えたもの、変わらずに残っているものとは何だろうか。 - 日本一の330メートル高層ビル、森ビルが着工 “超高層”は今後10年で大きく変化
森ビルは8月5日、虎ノ門・麻布台地区に高さ約330メートルの超高層ビルなどを建設する大規模再開発事業に着工。完成時点で日本一の高さのビルになる。一方、それを上回る390メートルのビルの建設計画もあり、超高層ビルの様相が変わっていきそうだ。 - 開業から40年たっても、池袋サンシャインシティが年3000万人を集める理由
東京・池袋の複合施設「サンシャインシティ」。開業から40年以上たっても、来街者数が過去最高を更新するなど、進化を続けている。当初“東洋一”の高さを誇っていたビルは何が変わり、何が変わらないのか。その魅力を見直したい。 - 休止間近!「上野動物園モノレール」が担った“意外な役割”
11月1日から、日本最古のモノレールが運行を休止する。上野動物園モノレールだ。300メートルを結ぶ約1分半の路線だが、62年間を振り返ると、さまざまな困難を乗り越えた歴史があった。休止前にその歩みを振り返ってみては。 - “透明ビール”を飲んでみた 8年越しの開発、アサヒ「クリアクラフト」
アサヒビールがテスト販売を開始した透明な発泡酒「クリアクラフト」。7月下旬から2回目のテスト販売を実施する。技術的なハードルを越え、8年越しで開発された「透明ビール」を飲んでみた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.