LUGのボランティアがカトリーナの惨禍に見たもの(2/3 ページ)

» 2005年09月12日 09時00分 公開
[Joe-Barr,japan.linux.com]

 子供たちはこのコンピュータを使ってゲームをしていたが、登録する人や家族を捜す人が来るとマシンを空けるように言われていた。若者や子供たちがこの理不尽な災厄からすぐに回復していく様は感動的ですらある。しかし、大人はそうではない。生存者がやってきてデータベースに登録する手助けをするたびに、わたしはその年齢を知って驚いた。地獄のような1週間にすっかり老けてしまったのだろう。実年齢よりもずっと高齢に見えた。しかし、そのわたしも、避難者たちの体験談を聞いて一気に老化した思いだ。

 28歳ぐらいだろうか、ある若者が彼と彼の妻が嵐とそれに続く洪水を生き延びた顛末を話してくれたのだ。2人は救助ヘリが作業可能な橋に何とか辿り着いたが、彼の妻はヘリに届く直前に救助ロープから抜け落ちてしまった。ヘリは再び彼女を引き上げると、戻ってくると言い残して去った。しかし、ヘリは戻ってはこなかった。妻とはぐれた若者は、妻の居場所を求めてニューオーリンズの病院を捜そうとしていたのだった。

 全員避難しているから、まだニューオーリンズにいるとすればおそらく空港だろう。重傷者は空港で応急措置をしてから避難していると伝えたが、そのことは若者も知っていて、オースティンに来る途中空港に寄ったのだという。しかし、そこに妻がいるかどうかを確認することはできなかった。若者は妻の家族にはまだこのことを知らせていない。生死不明の状態で恐ろしい知らせを聞かせたくないからだという。わたしと若者は、八方手を尽くして捜しまわったが見つからなかった。次の日、若者を見かけたので尋ねると、彼女の生死についても居場所についても、まだ何の手がかりもないという。

 LUGのメンバーでITに長けた人――オースティンの町のあらゆる分野からITに強い人たちが参集している。LUGだけでないのは、もちろんだ――も、それぞれに活動している。Dzuy Nguyen氏は、ボランティアの割り当て作業が忙しすぎ、混み合いすぎ、時間がかかりすぎるのを知って見切りをつけ、オースティン市ITコマンド・センターに行った。ITコマンド・センターでは、テキサス大学から来たボランティアたちが子供たちをポルノから守ろうとルーターやプロキシ・サーバーを設定していたので、手伝った。

 翌日は、コンベンション・センターに戻り、避難者が登録したり親類を捜したりするのを午前2時まで手伝った。Nguyen氏は、現在も、ルーターやサーバやネットワークの問題解決を支援するために待機している。わたしはALGメーリングリストでNguyen氏の話を読み、心打たれた。そこには、次のように書かれていたのである。

私自身、避難者でした。避難者への応対はまったく気になりません。私自身、そうだったのですから――わたしは難民だったのです。このような状況の中では政治的公正は忘れたほうがいい。為すべきことを為すことに集中すべきです。わたしにも悲惨な過去があります。早くから難民や受難の物語を多く聞かされたため、少しは強くなり、涙を堪えることができるようになったかもしれません。それでもコンベンション・センターのフロアを歩き避難している人たちの間を通ると、謙虚な気持ちになります。わたしも同じような境遇にいたことがあるからです。そして助ける立場に立てることを特別なことに思います。わたしは助けてくれる人々を羨ましく思ってきたのです。

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