LUGのボランティアがカトリーナの惨禍に見たもの(3/3 ページ)

» 2005年09月12日 09時00分 公開
[Joe-Barr,japan.linux.com]
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不満

 しかし、誰もがNguyen氏のように考えているわけではない。中には、不満が高じている人もいる。データベースはシームレスではないし、完璧に検索できるわけでもない。たとえば、避難者がセンターに到着して真っ先にすることは赤十字のデータベースに登録することであり、そのデータベースが外部からアクセスできるようになっていないことは明白だ。なのに、後でボランティアが登録の有無を尋ねると、話がかみ合わないことが間々あるのだ。「はい。ここに来たときに登録しました!」と彼らは言うが、リストには登録されていないのである。

 Yahooが過負荷になり始めてもいる。何度か反応しなくなったため、ボランティアは代わりにHotmailを使い始めた。今重要なことは、登録されている被災者を捜す人たちに連絡手段を提供することだからだ。

 月曜日には、集まった多数のボランティアに赤十字の対応が追いつかず、午後2時まで待たせることになった。LUGのメンバーも来ていたが、作業の割り当てを受けるのを諦めた。やはり、支援するには、忍耐と理解と創意工夫が必要なのである。

 私個人について言えば、問題は、自分がこの仕事ができるほどタフではないということだと思われる。多くの生存者たちが語る恐怖の体験談に私は疲れ果てた。目が赤いのは空調のせいでアレルギーが出たためだと説明したが、信じる人はいなかった。

 今朝になると、ボランティアの受付が消えていた。同じ建物だが、別の場所に移動していたのだ。わたしは受付をせず、リストバンドもなしに活動した。その後、ITコマンド・センターを捜したのだが、これも移動しており、移動先を知る人は誰もいないようだった。わたしは、子供たちのために25台のコンピュータが必要だと伝えたかったのだが。いつまでも子供を閉じ込めておくことなどできない。簡単なちょっとした楽しみがあればと思ったのだ。

満足

 あの若者の顔を生涯忘れることはあるまい。その若者は祖母を捜していた。ボランティアが彼の祖母の名前を別の赤十字サイトで見つけると、すぐに電話をかけた。その顔に浮かんだのは、純粋な喜びと安堵そのものだった。そうした喜びは、彼一人だけのことではない。2日目には10人を超える人たちの喜びの顔を目にした。そして、それが私を、あの場にいた数百名のボランティアを駆り立てたのだ。

 もちろん、喜びだけではない。わたしの目の前で奇跡が起きていたときでさえ、暗黒はあったのだ。人々は1週間もの間、地獄にいたのである。ニューオーリンズのコンベンション・センターで、屋根の上で、救助を求めて汚水を掻き分けながら、彼らは地獄にいたのだ。人間の悲惨は、他の地域に対する無関心によって作られる。その場から支援の姿勢を示すことが重要だ。たとえ、すぐに被災者のところに行くことはできないとしても。

 被災者の多くは悲嘆に暮れ、我が身に起きた災厄に打ちひしがれているように思える。しかし、被災者には、ほぼ一様に、やがて良くなるという思いがあり、彼らの周りにいる人々は助けたいと心から望んでいるのだ。被災者は、もはや孤立していないことを知っている。

 今日、コンベンション・センターを後にした。センターの2カ所に人が集まっていた。一方には、FEMAのオフィスがあり、家や保険などについて支援している。もう一方は、ボランティアの理容師・美容師が待っていて、先着順で無償サービスを提供している。LUGだけではないのだ。ITだけでもないのだ。わたしは、オースティン社会の一員であることを誇りに思った。

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