コラム
» 2006年03月31日 09時00分 公開

へそまがりのためのライセンシング(1) (3/3)

[八田真行,japan.linux.com]
SourceForge.JP Magazine
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利用目的の制限

 利用目的を制限することの問題についてはもう少し補足しておこう。自分が手塩にかけたソフトウェアに、自分の思想信条から来たある種のメッセージを込めたいという考え自体は感情としては分からなくもない。実のところ、海外でもその種の例は幾つも見られる。エゴの充足はあらゆる創造行為の源であり、そこを否定するつもりはない。しかし、ライセンスにおいて利用目的を制限するというのが筋の良い考え方だとは、個人的にはどうしても思えないのだ。

 例えば軍事利用の禁止だ。「軍事利用」と一口に言っても具体的にどのような行為を指すのか、具体性に乏しい。釘一本でも軍事に利用はできる。ならば釘メーカーでのソフトウェアの使用は禁じられなければならないのか。ある部門では車を作り、ある部門では戦車を作る企業もある。車の部門が戦車の部門を支えているという場合もあろう。そういった企業での利用は禁じられなければならないのか。数学の最適化理論は、歴史的にはミサイルの弾道計算を念頭に置いて発展してきた。では最適化分野での研究にそういったソフトウェアを利用することは禁じられなければならないのだろうか。

 あるいは、「反社会的行為への利用を禁ず」と書いていた場合、「反社会的」行為とは具体的には何なのか。それは誰が決めるのだろうか。要するに、曖昧すぎるのである。著作権者の事後的な意向次第で利用条件が揺れ動いてしまうようなライセンスは、不確実性が大きすぎて安心して利用できない。極力意向をくんでライセンス条件を順守しようとする良心的な利用者になればなるほど、負担が大きくなってしまうのである。しかも、おそらく著作権者が最も利用を制約したいと思うような輩に対しては(そもそもライセンスなど重視しないので)無視されて何の影響も及ぼさない、というようなことになってしまうだろう。それは不幸なことではないだろうか。

 ミッションクリティカルな分野における利用の禁止も、正直言って意味があるとは考えにくい。そもそも多くのオープンソースライセンスでは、無保証(No Warranty)をうたっている。受領者はそれを知った上でソフトウェアを利用しているはずである。また、多くの場合オープンソースソフトウェアの授受に対価は介在していない。対価を渡していないのに保証だけ要求するのも異な話ではないだろうか。それでもなお利用したのであれば、その責は利用者に帰すべきだとわたしは思う。というより、このような場合は別途メンテナンス契約を結び、きちんと対価を払った上で一定の保証を得るという方がノーマルな在り方であり、こういった方向をビジネスとして推進していくことの方が重要なのではないだろうか。故に、わざわざライセンスそのものにおいて利用を禁止するようなことではない、というのがわたしの考えである。洋の内外を問わず、オープンソースソフトウェアが引き起こした損害に関して作者や著作権者による補償や責任が争われた裁判がすでにあったかどうかは知らないが、できれば今述べたような方向で司法の判断が下ることを望みたい。

まとめ

 以上で、「使わせない」ライセンスは、若干の代償を覚悟すれば別に不可能ではないことを示した。ただ、そうすることの意味はあまりなく、むしろ弊害の方が大きいことも示したつもりである。そもそも、ライセンスに過大な期待をしてはならない。ソフトウェアが直接社会を変えるわけでもない。むしろ、オープンソースソフトウェアがよりいっそう普及し、それによって少しでも社会を支えるシステムがセキュアで風通しの良いものになることを願う方が現実的ではないだろうか。そのためには、エゴの発散を利用の制限という方向に向けるのはあまり生産的ではないようにわたしは思う。

 今回扱わなかった、既存のソフトウェアにコードを追加した、というような場合については次回述べることにしよう。

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