革新の伝統に立ち返るFedora 8(3/3 ページ)

» 2007年10月31日 06時57分 公開
[Bruce-Byfield,Open Tech Press]
SourceForge.JP Magazine
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IcedTea

 以前のFedora CoreリリースでFedoraは、EclipseやOpenOffice.orgといったアプリケーションを完全にフリーソフトウェアだけで実行可能にするGCJ(GNU Compiler for Java)を最も早期に含めたディストリビューションの1つだった。それ以来Fedoraでは、Javaの代わりの役割を果たすためにGCJが利用されてきた。

 ご存じの通り最近ではJavaのソースコードの大部分が公開されているので、残りの部分をGCJとOpen JDKのハイブリッドとして用意し、フリー版のJavaを実装しようとしている最中だ。

 Fedora 8ではJavaの代わりとしてはIcedTeaを利用し、Firefox用のプラグインにはGCJを改変したものを使用していて、性能が強化されていると主張している。そのような主張を実証することは一般的に難しいが、この場合はおおかたのところは事実であるようだ。一部のプラグインでJavaを必要とする OpenOffice.orgは、IcedTeaをSun Java 1.7として認識した。また、インターネット上のJavaアプレットを無作為に試してみたところ、IcedTeaは実際に主張通りの、より優れたフリーなJavaであるようだった。

 とはいえ「より優れた」というのは「完璧である」ことと同じではない。Fedora 8では以前のバージョンよりも数多くのJavaアプリケーションを実行できるようになったものの、IcedTeaはまだSunが提供している Javaに完全に置き換わるものではない。どうやら一部のクラスパスがまだ実装されておらず、また1.5以前のバージョンを必要とするアプリケーションの互換性が怪しい状態であるようだ。

重要なのは今回の成否ではない

 以上はFedora 8で予定されている新技術のすべてではない。Enlightened Sound Daemonに置き換わった、(複数のプログラム間で協調的にサウンドデバイスの利用が可能になるという)PulseAudioも試してみたかったのだが、今回のところは使用したテスト用システムのサウンドカードをFedoraが検知してくれなかった。また消費電力状態の切り替えの改良やバッテリーの持続時間の向上など、ノートPC全般の改善点についても試してみたかったのだが、今回はデスクトップマシンしか用意することができなかった。

 そのほかの改良は、主に人目につかないような部分に対して行なわれている。例えば、ticklessカーネルの採用や、デフォルトのブートシーケンスからXFSフォントサーバが取り除かれたことなどがある。また、Fedoraの翻訳者が上流プロジェクトへより簡単に寄与できるようにするためのTransifexについても平均的なユーザーの目にはおそらくとまらないだろう。

 Fedora 8を見れば、FedoraコミュニティーがFedoraの革新性を誇りにしていることがはっきりと分かる。プロジェクトのwikiにある各変更点についての公開文書を見れば、ロードマップをはっきりと見通すこともできる。そのような新技術の中で、wikiでは「完了」となっているにもかかわらず不備な点や制限があるようなものがあったとしても、それは避けることができないことのように思われる――新しい方向性を探ろうとする非常に数多くの試みが行なわれているため、そのうちの一部のものは、特にはじめてリリースされる際には、失敗する(あるいは他と比べてあまり成功しない)ということがどうしてもあり得る。Fedoraの挑戦や試行錯誤は評価に値する。初期の段階ではおそらく、完璧な成功よりも挑戦や試行錯誤を行うことの方がより大切なのだ。

Bruce Byfieldは、Linux.comとIT Manager's Journalに定期的に寄稿するコンピュータジャーナリスト。


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