すべては“カッコいい”のために? けんじろう流苦手克服術オルタナティブな生き方 吉田賢治郎さん(2/4 ページ)

» 2009年09月07日 11時30分 公開
[聞き手:土肥可名子、鈴木麻紀,ITmedia]

トップセールスマンに。キーワードは「苦手克服」

 コンピューター業界の営業は「業種」と「地域」に分かれています。銀行などの業種を担当するか、東京、大阪といった地域を担当するかということで、その当時はどこのコンピューター会社も、業種を担当する方が偉いという風潮がありました。

 わたしは「地域」担当へ。配属された部門の紹介に「端末および消耗品販売」と書いてありまして、「消耗品販売かぁ」とさらにメゲたりしました。大型コンピューターを扱うカッコいいイメージからは程遠いと思いました。

 最初はその部門で、お米屋さん向けの端末(パソコン)を扱いました。1日30件回ってこいと言われて、お米屋のおばあちゃんに「パソコンいかがですか?」と営業しました。プリンター付きで300万円ぐらいするものでしたので、ほとんど売れませんでした。夏にスーツを着ても汗をかかないノウハウと体力はつきましたが(笑)。その中で1つ気が付いたことがありました。「人から、やれと言われたことをやっている“だけ”では駄目だ」ということです。

 そんなとき、図書館システムを販売する山脇さんというカッコいい先輩と仕事をする機会がありました。

 ご自身でセミナーを企画して、たくさんのお客様の前でセミナー講師をしている姿。お客様よりも「業務」を知っていて、コンピューターに関係ないところまでアドバイスして、事例やご自身の体験を交えながらプロフェッショナルな提案をする姿。社内でも業界でも第一人者として知られ、システムが本稼働を迎えるとお客様と一緒に本当に嬉しそうに喜び合う姿。そして、その事例を別のお客様のところで経験として話す姿。

 そのプロフェッショナルな営業の姿のすべてが本当にカッコいいのです。トラブルが起きたときにお客様や上司に頭を下げる姿でさえカッコよく見えました。こんな営業になろうと思いましたね。業務と技術を知り、お客様の悩みを自分だけが持っている分野のノウハウで解決していくプロの営業になろうと。

 お客様に喜んでもらえて、かつビジネスに結び付けられるストーリーが描け、他の人にはできない、わたしだけができる特別なことはないのかを真剣に考えました。

 図書館システム販売の仕事で全国を回る中で、地方自治体の各部門にも御用聞きのように顔を出していましたので、訪問前にその部門の業務について本を読んだり先輩から聞いたりして、徹底的に覚えるようにしました。そして、現在執行役員の西村知教さんの薦めで、当時はまだ比較的情報化が遅れていた都道府県庁を狙って営業を始めました。もちろん、最初はなかなか買ってくれません。

 わたしはそのころ都道府県庁の業務とパソコンの活用に長けていて、社内の事務職の女性たちと非常に仲が良かったのです(このとき、妻もゲット)。その女性たちに講師になってもらい、「なじもう会」というものを作りました。当時有楽町にあった会議室を借りて、「今の業務がもっと簡単になる“パソコン”を無料で教えます」というものを開催したのです。対象は、まだパソコンを知らない中高年の管理職です。

 若くて可愛い女性たちが講師で、流行り始めたパソコンを無料で学べるとあって、これが受けました。大型コンピューターは他社のものでしたが、仕様書にはわが社のパソコンでなければできない便利な機能を、1つだけ書きました。最終的に半年で600〜700台売れました。24ドットのプリンター付でパソコンが1台300万円以上という時代でしたから、かなり割り引きをしたとしてもいい金額です。

 営業成績トップになりました。「吉田はパソコンとネットワークで業務を解決してくれる」という話が口コミで広がって、さまざまなお客様の案件紹介が来るようになりました。全庁レベルの大きなプロジェクトや銀行、保険会社のメールシステムのプロジェクトなども任されました。パソコンの全社入れ替えに始まり、POS、CAD/CAM、LANの配線からエアコン、焼却プラントの設備まで、何でも売りました。そりゃあ、すごい金額になりましたよ。壁に張られた営業成績のグラフは、天井まで行って、折り返して床まで到達しました。

 わたしは新しいモノ好きです。新しいということは、みんなも知らないということ。ということは、知識豊富な人とでも新しいモノに関しては同じスタートラインに立てます。もともとIT技術者ですから、新しい技術と、それで何ができるかに関して必死で覚えて、すぐにお客様に提案しました。

 営業がうまくいったのも、担当する業種・業務とそれを解決できるIT技術を徹底的に勉強してきたからだと思います。他の営業がやっていない新しい製品、業務、業種でしたら、一緒に学び始めれば量をこなした方が勝つ。普通の人が10分勉強するところを100分学べばいい。10分に対して10分では勝てないし、倍の20分でも勝てると思えないけれど、10倍やれば勝てるのではないか、という感覚です。

 もう1つ、IT業界の営業のプロとして大切だったのが、提案段階から本稼働までを対応してくれる技術リーダーの存在です。新しいテクノロジーを扱えることがわたしの持ち味でしたが、新テクノロジーを利用してクオリティの高い構築サービスを提供してくれる技術チームがいなければ、提案・見積もりさえできません。新しい分野への夢を語り、日ごろから社内での信頼関係を作っておくことが重要だと思っていました。実際には、現場に缶コーヒーを差し入れ行くとか、そんな小さなことが大切だったのかもしれませんが。

 また、社内の技術者が技術面や工数面で不在のときに、自分、先輩、他のお客様、取引先などにも問い合わせて、技術を持っている会社や組織をプロジェクトチームに紹介したことも重要だったように思います。

 いずれにしても、ITの営業は1人でできるものでも、1社だけでできるものでもなく、広いコネクションを活用して、チームを作り上げて取り組んでいかなくてはなりません。そして、関係した人たちからひとつひとつ信頼を勝ち取って次の商談に備えなくてはならないのです。

 そうこうしているうちに、次第に新しい業界、製品の商談はわたしのところへ来るようになりました。そのうち「アメリカのBitnet、Usenetなどとつないで、国内もIP化するから、やってくれない?」と言われ、IP化とは何だかよくは分からないままインターネットとの付き合いが始まったのです。当時は研究所や大学などがDDXパケットなどで接続し、UUCPというバケツリレー方式でやっている段階で、ちまたではPC-VAN、NiftyServeなどのパソコン通信が流行っていました。

 ほどなく企業にオープン化・ダウンサイジングの波が来て、会社でもちょうどソフトウェア事業を立ち上げようとしていたころでした。その中で、わたしが商品企画と販売促進を担当して自社製のグループウェアソフトを世に出したり、さまざまな業務システムをUNIX&Windows2.11のクライアントサーバーシステムで提案したり、Lotus Notesがアメリカで話題になっていたので社内に説明したり社長室に導入したり、ということを推進するポジションを得ました。

 営業“だけ”よりもカッコいいと思いましたので、苦手でしたがマーケティングやコンサルティングの勉強も徹底的にしました。担当商品が割と売れたおかげで、日経セミナーなどで講演するようになりました。そうしたら、某大手ソフトウェア会社と旧ロータス(ロータス・デベロップメント社)からオファーが掛かりました。結果として、マーケティング本部長から社長になるタイミングだった安田誠さんが声を掛けてくださってロータスへの転職を決めました。

 最初の会社は本当にいい会社で、わたしを一人前のビジネスマンに育ててくれたこともあり、一生を捧げるつもりでした。しかし、「外資系」という言葉はカッコいいですし、苦手な英語にチャレンジして克服する達成感を得たいし、英語が話せるようになったらカッコいいとそのときは思いました。実際にロータスに入社して感じましたが、みんな本当に若くてカッコよかった。

 最初の会社での送別会には200人ぐらい来てくれたでしょうか。会費が余ったからと記念品ももらいました。今している腕時計もその1つです。わたしの宝物です。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ