世界で勝つ 強い日本企業のつくり方

大前研一の辛口ニッポン応援談(後編)世界で勝つ 強い日本企業のつくり方(2/5 ページ)

» 2009年11月16日 10時00分 公開
[構成:怒賀新也,ITmedia]

 僕はマレーシアの法律を全部変えようといったことがあるんだ。サイバー時代に古い法律では新しい産業が育たないとね。そしたら鶴の一声。すぐに司法長官を呼んで、翌日から法改正にとりかかったよ。最終的には5年かかったけどサイバー法を制定した。あるとき金曜日にプレゼンテーションをしたんだ。5時間にわたる長いプレゼンで(トイレにも行かせてもらえなかったので)僕も疲れたけど、70歳という年齢なのに彼は休憩も挟まずにずっと聞いていた。そして翌月曜日にはメモも持たずに各閣僚に指示を出していた。すべて完璧に頭に入っていたね。それはすごい迫力の人物だったよ。

 リーダーばかりじゃない。世界のどこに出しても仕事のできる国際的な人材も日本人には不足している。日本が戦後、あれだけ国際化できたのは学校教育が出来上がってなかったからだろう。指導要領も偏差値もなかった時代だ。だからアンビション(大志、野心)の非常に強い人が戦後のどさくさにまぎれて出てきた。

 能力や経験などに関係なく「世界に行きたい」と向こうみずに出かけていく本田宗一郎氏とか松下幸之助氏という人物がね。戦後の日本が世界に羽ばたく企業をたくさん輩出したのは大学で学んだのではなく、仕事を通じて学んでいった人々がたくさん出てきたからだろう。

 今の人は「必要十分条件」で考える。自分はそんなところに行って何かできるのか、英語ができないから駄目だとか。でも戦後の人は「英語はできないけど世界に出ていきたい」という思い、つまり「必要条件」だけで行っちゃったわけ。運の良い人に十分条件はついてくるんだな。

 例えばバイクメーカー。戦後の一時期は国内に265社あったんだが、生き残ったのは4社。今さらに2社になろうとしているけど、激しい国内競争に生き残って世界に出て行った会社は強いよ。世界のどこへ行っても連戦連勝。今はそれがないね。

世界で活躍する人材をどう育てるか

 日本が駄目になった理由は、母親と文部科学省(文科省)に尽きる。文科省の指導通り、先生のいうことを聞く子が「良い子」という価値観が問題だ。本田宗一郎氏は高校を途中で放校されたほどの不良だったし、松下幸之助氏は尋常小学校卒。幸之助の義弟で三洋電機を起こした井植歳男さんは当初松下で働いていたんだけど兄貴にはかなわないといって辞めたんだが、その理由が面白いんだ。

 「俺は中学まで行っちゃった」からと。兄貴は小学校しか行ってないというわけだ。

 勉強し過ぎるとマーケットの感覚が肌で分からなくなる、肌で感じる感覚が大事だということなんだね。それで国内では松下にかなわないから、俺は海外をやろうと三洋、つまりインド洋、太平洋、大西洋で三洋を作ったというわけ。いまそのサンヨーがパナソニックに吸収合併される、というのも何かの縁だよ。

 世界のどこに出しても通用する人間を育成する方法、これは2つしかない。ひとつは韓国方式、もうひとつは北欧方式だ。

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