Twitterで覆るコミュニケーション手法とその先伴大作の木漏れ日(2/3 ページ)

» 2010年03月24日 08時00分 公開
[伴大作,ITmedia]

Twitterは一時の流行り病か

 確かに「流行り病」の側面は否定できないが、単なるブームで終わるサービスとも思えない。このトレンドを正しく認識するには、電話、手紙、テレビ、ラジオ、電子メール、ブログやSNSなどのコミュニケーションツール、ブロードキャスティング、活字媒体、コンシューマーの時間の過ごし方、スポンサーのメディア選別――などの要素を、多角的かつ総合的に見ていく必要がある。

 活字媒体は選別の時代に入っている。消費者が「良質で合理的な値段」と判断できない活字媒体は、既に駆逐されはじめている。雑誌が廃刊されたり、新聞社の経営が危機に陥ったりしているのはそのためだ。

 テレビでは、「地デジ対応と政府の助成」がある受像機ビジネスにおいて、薄型テレビがある程度の活況を呈している。だが、コンテンツを作り、送り出す肝心のキー局は、宣伝費の落ち込みで青息吐息の状態だ。

 電話は、携帯電話のオペレーター側はそれなりの業績を上げている。だが、端末を作っているメーカーは、競争の激化と販売方式の変化で悲鳴を上げている。音楽分野ではCDの販売が伸びず、街のCDショップも次々を閉店。CDを製作している会社も業績不振に陥っている。対照的に、歌手や所属するプロダクションはそれなりの業績を上げている。

 これらの動きと事業者の業績がはって進む様子から、「大きな構造変化」が起きていると総括できる。消費者は相変わらず、文字を読み、音楽を聞き、マンガを読み、映画を見ている。それらを入手する方法に大きな変化が生じているのだ。当然、その動きを敏感に察知したスポンサーは、最も有効な販売促進策を求め、試行錯誤を繰り返している。

 消費者全体とは直接関係はないが、少なくともアーリーアダプターの多くは、Twitterに大きな時間を費やしている。ただし、Twitterが販売促進策の有効な手段となるかは、いまだ手探りの状態だ。

 Twitterが「単なる暇つぶしであり、暇人がやる遊び程度」にしか認識されていない現状もある。一般的に浸透するメディアにはなっていない。Twitterは、現時点では単なるコップの中の嵐程度に見るのが正しい。騒がれているからといって、過大な評価を与えるのは慎むべき、というのが僕の現在の評価だ。

 ただ、Twitterは単なる一過性のブームで終わりそうにないとも考えている。それは、コミュニケーションをめぐる長期的なトレンドの大きな1ページにもなり得るからだ。

先細るブログとSNS

 人の時間は限られている。睡眠や食事、風呂、トイレの時間を削るのは難しい。多くの人はそれ以外の時間をメディアの消費やスポーツ、おけいこ事、趣味の時間に費やし、テレビや携帯メール、長電話に興じている。

 SNSへの参加やブログの更新もそれにあてはまるが、多くの時間を消費している人は少ない。だが、インターネット利用という視点では、かなり影響力を持つ集団が形成されており、無視できない存在といえる。

 代表的なSNSはmixiだ。3月18日現在の登録者数は2727万8928人、SNSのアクティブユーザーは最大でも1割といわれているので、およそ250万人程度と推定できる。

 一方、Twitterのアクティブユーザーは、著名なWebアナリストである衣袋宏美氏のブログ「2009/11 のTwitter.com利用者数、日米とも微減で横ばい」において約200万人いるとしている(ソースは明かせないと断った上で)。mixiとTwitterの利用者数が近いことに気付く。

 僕の知る限り、mixiの友人の多くがTwitterを使っている。つまり、双方のサービスに登録している人が多数いるということだ。どちらのサービスを主に使っているのだろうか。僕の感覚では、Twitterに活動の中心を移した、もしくは移そうとしている人が相当数いる。

 ただし、彼らの多くは、mixiでも短文のコンテンツを投稿する傾向が強い。毎回長文を投稿する人は相変わらずmixiに残っているが、それは少数派だ。Twitterを使いはじめた多くの人は、文字数の制限など気にしないため、mixiからの移行に違和感を持たないのだろう。

 つまり、文字数制限があるTwitterは、表現手段としては、SNSやブログより適した手段といえそうだ。その結果、多くの人がSNSやブログからTwitterに移行した。この状況はSNSやブログの先細りともとらえられるし、SNSとブログがオーバースペックだったともいえる。

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