2013年新春インタビュー

日本のITは「核」と「自信」で海外と戦え MIJS対談2013年新春特集 「負けない力」(1/2 ページ)

日本企業が世界のライバル企業との戦いを勝ち抜いていくには何が求められているのだろうか――MIJSの海外展開委員会を担当する内山雄輝委員長と内野弘幸担当理事に語ってもらった。

» 2013年01月24日 08時00分 公開
[構成:國谷武史,ITmedia]

 持続的なビジネスの成長を追い求めて海外進出する日本企業が増えている。世界の企業との厳しい戦いをどう勝ち抜けばよいか。MIJS(メイド・イン・ジャパン・ソフトウェア)コンソーシアムの海外展開委員会を担当する内野弘幸理事(ウイングアーク代表取締役社長)と内山雄輝委員長(WEIC代表取締役社長)に対談いただいた。

 内山氏は中国語のeラーニングサービスを手掛けるWEICを20代前半で創業し、日中の懸け橋となるべく10年近くにわたってさまざまな活動を精力的に展開している。対談では内野氏がベテラン経営者の立場から、内山氏に若き経営者としての想いや日本企業が海外市場で勝ち抜くための秘訣を尋ねた。

「社員経験なし」で起業

内野氏 海外展開委員会担当理事の内野弘幸氏(ウイングアーク代表取締役社長)

内野 日本では社員、部長、経営者となっていくのが一般的ですが、なぜ最初から経営者を目指したのですか。

内山 学生時代は学費も生活費も自分で稼いでいましたので、卒業までに「自分の手で飯の種を得たい」とずっと思っていました。いろいろなアルバイトを経験しましたが、自分でビジネスをした方が稼げるのではないかと感じました。

内野 「自分一人の方が稼げる」という自信ですか。

内山 自信よりも、「やらなきゃいけない」という心境です。大学時代の後半にあるIT系の会社で、特許の検索システムを作るプロジェクトのマネジャーを任されました。何も知らないところから勉強を始めて、中国側と直接交渉してデータを取り寄せ、7、8人の中国人スタッフとシステムを作り上げました。そこでITの面白さを知りました。

 その後、社長に付いてたくさんの人と出会いましたが、大学卒業して新入社員になれば、またゼロから研修を始めて、2、3年と過ごしていくことになるだろうと想像したら、時間がもったいないと考えていました。その会社を大学4年の夏に辞めてしまいました。就職活動もしていなかったので、「これはマズイ!」となってしまいました。

 ちょうどその時に、学内の研究でしていたことを会社にするという誘いを教授からいただき、資金は無かったのですが、やってみようというのがきっかけになりました。結局、在学中に会社はできず、貯金を少しずつ切り崩して卒業した年の12月に創業しました。それが今のWEICです。600万円の資本金に社員は私1人だけという状況で、「いったい何をするんだ……」という感じでしたね(笑)。

内野 起業を失敗した思うことはありましたか。

内山 失敗とは、思いたくはありませんでした。日本の企業は組織の中で昇進していくというプロセス型の社会なので、卒業してすぐにそのプロセスから外れてしまったわけですから、失敗すれば終わるだけだと考え、「自分の名前で飯が食えるところまで絶対死なないぞ」と覚悟しました。もちろん、中国語の教育ビジネスとITのソリューションサービスをしたいという情熱がありましたし、いつかこれを形にして自社製品として世に送り出すという目標を叶えたいと想いがありました。

内野 今はそれなりの立場を築いていると思います。その要因は何だと思いますか。

内山 「核」だと思います。起業して最初の数年はやりたいことができず、日銭を稼がないといけない状況でした。「何をやっているのか」と悩みましたが、「核」はありました。私は日本と中国が組めば絶対うまく行き、日本人の生活も世界の人々の生活も良くなると思っていました。それを実現する上で、日本は中国のことをあまりにも知らないと感じていましたし、中国を知るにはまず言葉を知ることが必要だと思っていました言葉が分かる仕組みを最速レベルで実現させたいというのが、私の「核」でしたね。

内野 そこが大事ですね。事を成す人の心の奥底には、「絶対にこれをやる」という信念や覚悟があると思います。ビジネスには当然ながら壁が立ちはだかりますが、信念や覚悟があれば壁を突き破っていけるわけですね。

自信を持つ

内山氏 海外展開委員会委員長の内山雄輝氏(WEIC代表取締役社長)

内野 内山さんに最初にお会いしたのは、MIJSがベンチャー企業の育成を支援するという選考の場で、そこでのプレゼンテーションがとても印象的でした。「すごくスピーチがうまい」と感じましたけど、かなり勉強したのでしょうね。

内山 人の100倍ぐらい練習したと思います。自分自身で何度も聞いてみて、聞いた人に「おや?」と思われるよう、繰り返し自分自身へプレゼンテーションをしました。

内野 「この人は自信がありそうだ」とも感じましたよ。

内山 実は資金が無くて、「当たって砕けろ!」という状況でしたね。このプレゼンテーションが最後のチャンスで、限界まで自分の力を出し切って、それでダメなら仕方無いと覚悟していました(笑)。

内野 捨て身ですね(笑)。ところで、今の日本の状況をみると、それなりに豊かであって、それを守りたいという意識が強いように思います。逆に言えば、その意識が何か新しいことを始める壁になっているのではないかと感じます。内山さんの場合、「何も無いなら、やるしかない」という状況だったわけですね。

内山 当時は守るものも捨てるものも無くて、とにかく「生きる」しかありませんでした。

 ソニーやパナソニックといった企業を創業した方々も、最初はゼロからスタートして今の大企業に育て上げてこられたと思います。それを現代の日本では実現できないというのは、おかしいのではなでしょうか。21世紀の日本の若者がそれを実現すれば、周りの人たちも元気になれると思います。

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