国産検索エンジン開発が頓挫した先にあるもの“迷探偵”ハギーのテクノロジー裏話(1/3 ページ)

かつては日本でも「検索エンジン」を自前で開発しようという機運があったものの、今ではほとんど無くなってしまった。検索エンジンを持たないことで、どんな未来が待ち受けているのだろうか。

» 2013年02月01日 08時00分 公開
[萩原栄幸,ITmedia]

 「日の丸検索エンジン」とか「国産検索エンジン」「国策検索エンジン」など呼び方は多々あるが、要するに、日本で検索エンジンを作ろうというプロジェクトが2006年に存在していた(技術者視点では正確にはGoogleなどの検索エンジンとは多少趣が違っていたが、区別するほどのものではない)。結局はうまく行かなかったが、最近になってその必要性が高いと感じるようになった。

政府が大々的に宣伝したプロジェクト

 2006年、さまざまな思惑のもとに経済産業省が検討し、2007年に掲げた大型プロジェクトがあった。「情報大航海プロジェクト」と言われたものである。

 その当時にプロジェクトへ参画していた友人に、「今でもサイトが残っているのか?」と聞いたところ、「既に個別のサイトはもうない。でも本家のサイトなら今でも残っている」ということだった。

 内容を見てみると、「平成19年度の取り組み」から「平成21年度の取り組み」まで掲載されているが、以降は存在していない。事務所が2010年3月(平成21年度末)に閉鎖されたものの、サイトはそのまま残されているようである。また、“残骸”として「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」という、どういう訳か英語サイトも残っている。

 このプロジェクトは、50社ほどの民間企業を巻き込み、国家予算300億円を投入して「3年後には実用化しよう」という計画であった。ところが、残念ながら下馬評通り3年で150億円ほどのお金を投じたものの、撤退するに至った。

設立当初からあった違和感

 当時、筆者は検索エンジンの周辺を開発するという友人の資料を見てある違和感を覚えた。巨大ソフトメーカーからベンチャー企業までが混在し、一部の企業は明らかに外資系であった。国産だから外資系がまずいというわけでなく、国防を兼ねた国家戦略としてこのプロジェクトの意義を考えれば、その技術の流出が懸念された。

 友人には言えなかったが、「いったい誰が責任を持って手綱を引くのか」と感じた。船頭は1人で良く、できれば自分の生活が掛かっているベンチャー企業で、技術力や指導力でカリスマ性を持った人間が良いと思っていたからだ。さまざまな企業が混在する状況では大企業の社員が、音頭取りをせざるを得ない感じがして、本当にプロジェクトがまとまるのかは疑問だったのである。

 結果的に、その時の筆者の懸念は現実のものになってしまった。また周りの評論家の弁を借りるなら、「またか。官庁は懲りないし、学習能力が無いのではないか」という厳しい評価が下った。そして、なぜ「またか」なのか。

 過去に頓挫した国家プロジェクトの1つに、「第五世代コンピュータ」がある。Wikipediaによれば、「第五世代コンピュータ(だいごせだい-)とは、通商産業省(現経済産業省)が1982年に立ち上げた国家プロジェクトの開発目標である。570億円を費やし、1992年に終結した」とある。成果は「ほとんど何も無いに等しい」と多数の専門家が指摘している。570億円の無駄遣い……実にもったいないものだ。

 また、「シグマプロジェクト」というものもあった。これもWikipediaによれば、「Σプロジェクト(シグマプロジェクト)は、1985年に始まった日本の国家プロジェクト。Σ計画(シグマけいかく)とも呼ばれる。(中略)最終的に250億円(日本経済新聞1992年6月10日朝刊では218億円となっている)の国家予算をつぎ込んだといわれているが、失敗プロジェクトとなってしまった」。

 本稿で、「どうして官民共同プロジェクトは成功しづらいのか」というテーマを議論するつもりはない。国産の検索エンジンができるのを当時心待ちにしていた筆者としては、「自分が主導権を握りたかった」などと妄想してしまうほどに、残念な出来事であった。

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