クリエイティブな仕事はAIに取って代わられないといわれているが、果たして本当なのだろうか。
この記事は大越章司氏のブログ「Mostly Harmless」より転載、編集しています。
Facebookでこんなエントリーが流れてきました。
蒸気機関に代表される第1次産業革命では、「動力」が機械化されました。そのため、力仕事が機械に代替されたり、馬車が鉄道/車になって馬が失業したりしたわけです。
それに対し、AIは知的活動の機械化であるため、影響を受けるのは主にホワイトカラーということになります。もちろんブルーカラーにも少なからず影響はあるでしょう(ブルーカラーにも知的作業はありますから)。
さて、この記事の中に
基本的に、医者のような人件費が高く、人を雇うのが難しい仕事ほど、機械に置き換えることのメリットは大きいのです。
近い将来、機械に置き換えるコストのほうが高くつくような単純作業だけが、人間に残されるのかもしれません。
という記述があり、AIをコストから考えるのは、面白い視点だと思いました。
私としては、単純作業と高度な作業の両端が人間に残されて、その間の部分がAI化されていくのではないかと考えています。例えば医者の仕事の中にもAI化されていく部分は当然あるでしょうが、完全に置き換えられるほどにはならないでしょう。
「単純作業」こそAIに置き換えられる、という意見がありますが、そこにはコストの問題があります。AIの導入、運用費用と人件費との比較の問題です。
いまのところ、AIは非常にコストがかかりますから、人間を代替してコスト的に見合う仕事は限られます。今後コストが下がっていくにしても、最低賃金の人間に対抗できるようになるかどうかはまだ分かりません。
2年前に野村総研とオックスフォード大学が共同で「AIに代替される職業」を発表しました。
私は、これにはちょっと違和感があります。「職業」(というか職種)で分けているからです。私の考えでは、先に述べたように、特定の職種ではなく、さまざまな職種の「真ん中」あたりがじわじわとAIに置き換わっていくのではないか、と予測します。ただし、どのあたりからどのくらいの速度で置き換わっていくかについては、職種による差はあるでしょう。
「AIに代替される職業」の中では、いわゆる「クリエイティブな」仕事はAIに代替されないということになっていますが、現実には、既に実験的ながら作曲したり絵画を描いたりするAIが存在します。
クオリティー(それを定義し、評価することは非常に難しいのですが)的には、人間が作る一流のものと比べられるものではないでしょうが、それなりのものはできるようです。
例えば、BGMのような、言葉は悪いですが「何か鳴っていればよい」というレベルのニーズであれば、これで代替できるでしょう。ホームビデオのBGMなど、これまでコスト的な問題で使われていなかったところでも使われるようになるかもしれません。
作曲のようなクリエイティブと思われていた世界でも、AIに置き換えられる部分は存在するということです。
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