AWS活用が軌道に乗ってきた大橋さんは、次に「研究会」を始めようと考えた。ノートPC1台とネットワークさえあれば、どこでもAIを使った検討が行える。その利点を生かし、日本棋院の本院(東京・市ヶ谷)で定期的にAIを活用した研究会「プロジェクトAI」を始めた。現在は10代から30代の若手棋士を中心に、メンバーは25人にまで増えたそうだ。
「高性能のAIさえあれば1人で研究ができてしまうので、実は中国や韓国では今、囲碁棋士の『引きこもり』が問題になっているというウワサも聞きました。しかし、AIが打つ手は自分一人では理解できないことも多い。だからこそ、棋士のみんなで協力して研究できる場があればいいなと考えました。人間を超えたとはいえ、AIが苦手とする局面もまだまだあるのが実情です。そういう部分に関しては、人間と力を合わせて探索を行う必要があるでしょう」
知り合いの開発者の協力も得て、数々の囲碁AIをほとんど使えるようになった。大橋さんが囲碁AIを最新版にアップデートすると「Amazon マシンイメージ(AMI、インスタンスのソフトウェア設定)」として共有するシステムで、LINEを使って研究会のメンバーに配布している。囲碁AIを動かす際はAmazon EC2上で、GPUを利用するP2/P3インスタンスを利用するという。
「P3はP2よりも約3倍高いですが、同じ時間内に探索できる手の数が5倍以上あるので、コストパフォーマンスが高いP3を使う人が増えてきていますね。もっと速くて安いインスタンスが出るのをみんな楽しみにしています」(大橋さん)
研究会のメンバーは囲碁のプロだが、当然ながらAWSについては全員「素人」だ。しかし、大橋さんをはじめとして、AWSのシステムに興味を持ったメンバーが皆に初期設定し、教えて回ったほか、AWSの使い方をまとめたマニュアルを作る棋士まで現れ、今ではメンバー全員が自力でAWSのインスタンスを立ち上げられるまでになったそうだ。
「研究会の中には70代の人もいますが、全員がインスタンスを立ち上げられるようになりました。これは囲碁への知的欲求が原動力になっています。さらにAWSそのものに興味を持つ人が出てきて、さまざまな設定をいじるだけではなく、最近ではパフォーマンスの比較までしてくれます。メンバーの中には、AWS以外にGCP(Google Cloud Platform)を使っている人もいます。TPUで開発された囲碁AIも登場し始めているので、僕自身GCPにもとても興味があります」(大橋さん)
研究会のメンバーには棋士兼学生も少なくない。勉強会に参加しているメンバーであり、ポスト井山五冠を期待される一力遼八段に話を聞いたところ、「研究に使うツールが1つ増えたというイメージ」とこともなげに話してくれた。彼らにとってAIは、もはや特別な存在ではないのだろう。「特に若い子たちは、AIによって囲碁に対する考え方や会話が変わってきている」と大橋さんは話す。
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