企業が「お金を払ってでも情報を取りたい」IT調査テーマ3選アナリストの“眼”で世界をのぞく

目まぐるしくトレンドが移り変わるIT業界では、目新しいテーマだけがビジネスの中心となるわけではない。矢野経済研究所のアナリストが、実際に多くの企業が購入した調査レポートの中から、ビジネスで関心が高まっているテーマを明らかにする。

» 2023年01月27日 09時00分 公開
[小林明子矢野経済研究所]

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この連載について

目まぐるしく動くIT業界。その中でどのテクノロジーが今後伸びるのか、同業他社はどのようなIT戦略を採っているのか。「実際のところ」にたどり着くのは容易ではありません。この連載はアナリストとしてIT業界と周辺の動向をフラットに見つめる矢野経済研究所 小林明子氏(主席研究員)が、調査結果を深堀りするとともに、一次情報からインサイト(洞察)を導き出す“道のり”を明らかにします。

 2023年最初の記事は、「2023年のITトレンドを大胆予測」ではなく「2023年のIT業界はこうなる」でもなく、「2022年に矢野経済研究所でよく売れた調査レポート」という観点で3つのテーマを取り上げる。

ビジネスで“リアルに”注目されている3つのテーマ

 矢野経済研究所のレポートは主に事業企画やマーケティングの基礎情報として企業に購入されている。目新しいわけでなくてもメディアに取り上げられていなくても、多くの市場関係者が関心を寄せるテーマのレポートは売れ行きが良い傾向にある。

 もちろん、社会的に注目度が高いトレンドもスマッシュヒットとなる。「大胆予測」は他の識者に任せ、ビジネスの現場でリアルに関心が高いテーマを3つ紹介したい。

 2022年に矢野経済研究所でよく売れた調査レポートは「メタバース」「社会インフラ向けITソリューション」「キャッシュレス決済」だ。メタバースが何か、なぜ売れたかの説明はいらないだろう。他の2つについて内容を簡単に紹介すると、「社会インフラ向けITソリューション」とは道路や鉄道、河川などの社会インフラの構築や防災対策も兼ねた維持管理のために、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)といったデジタル技術を利用するソリューションだ。「キャッシュレス決済」はクレジットカード決済やデビットカード決済、QRコード決済、プリペイドカードなど現金以外を使った決済を指す。

図1 ビジネスで注目されているテーマ3つ(出典:筆者作成資料) 図1 ビジネスで注目されているテーマ3つ(出典:筆者作成資料)

メタバースは都市も変える 「バーチャル渋谷」でハロウィーンイベント開催

 矢野経済研究所が実施する調査では、メタバースを「仮想と現実を融合したインターネット上に構築された3次元の仮想空間で、ユーザーは自分のアバターを操作し、ユーザー同士が交流したり、さまざまなサービスやコンテンツを利用したりできる環境」と定義している。ゲーム専業サービスは対象外としている。

 コロナ禍の3年間で、リアルで人が集まった方がいいものとオンラインの方が効率がよいものとが区別され、バーチャルの費用対効果や体験価値が高く評価された。B2B(Business to Business、BtoB)の展示会やセミナーなど各種イベントのオンライン化が進み、法人向けメタバースの利用が先行して市場が立ち上がった。法人向けの需要は拡大が続く見通しだ。用途として考えられるのは、イベント以外に仮想オフィスや会議、顧客向けの製品体験やオンライン購入、ショールーム、教育・トレーニングなどがある。

 AR(Augmented Reality:拡張現実)、VR(Virtual Reality:仮想現実)ヘッドセットなどの機器を利用する世界を本質的なメタバースとみるプレーヤーもいる。ただし、現状では大型の機器を装着し、通信が整備された環境で利用しなければならないなどハード面での制約が大きく、スマートフォンのようにどこでも誰でも利用できる状況ではない。まずはスマートフォンやPCを対象に日常的に利用できるサービスが普及するだろう。

 矢野経済研究所は、2021年度の国内メタバース市場規模(メタバースプラットフォーム、プラットフォーム以外《コンテンツ、インフラなど》、XR《VR、AR、MR機器の合算値》(注2)は744億円と推計した。2022年度は前年度比245.2%の1825億円となり、2026年度には市場規模が1兆円を超えると予測する。

図2 メタバースの国内市場規模予測(出典:矢野経済研究所「2022 メタバースの法人向け市場動向と展望」2022年7月発刊) 図2 メタバースの国内市場規模予測(出典:矢野経済研究所「2022 メタバースの法人向け市場動向と展望」2022年7月発刊)

 筆者はアナリストとして自治体DXについても調査を実施しており、メタバースを活用したスマートシティーの実現にも興味を持っている。バーチャルな場所であるメタバースとリアルな場所である「まち」は親和性が高そうだ。

 身近な例として、渋谷区公認のメタバース空間「バーチャル渋谷」がある。KDDI、渋谷未来デザイン、渋谷区観光協会の3社が中心となって2020年に立ち上げられた。クラスターが開発するメタバースプラットフォーム「cluster」を利用している。渋谷にハロウィーンに大勢人が集まる中で、バーチャル渋谷でも「ハロウィーンフェス」が開催されている。2022年10月実施された「バーシャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス 2022」には世界中から延べ30万人が参加したという。

 ちなみに、この記事を書くにあたってスマートフォンでバーチャル渋谷に入ってみたが、特にイベントも開催されておらず、スクランブル交差点は無人だった。実はリアルな渋谷は苦手な筆者は、精巧かつ人混みが気にならないバーチャル渋谷は「悪くない」と思った次第だ。

 メタバースでは住民や事業者、来訪者などの間でリアルとは異なる新たなコミュニケーションが成立する。街づくりの将来像をオンラインで先行して実現するなどデジタルツインのシミュレーション的な使い方もできるだろう。地域活性化や地域課題の解決にメタバースが貢献する可能性がある。また、ゲームなどエンターテインメント以外の社会貢献的な用途が開拓されることは、メタバース市場の成長につながると考える。

 NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)やブロックチェーン技術との組み合わせで、アバターが接客して物品を売買してビジネスを成立させるなど、オンラインで高度な経済活動が行われる可能性もあり、注目度が高まっている。

 一方でデジタルデータの所有権やデジタルな場所の占有権、アバターの肖像権など法的な課題はまだ解決されておらず、慎重な見方をする関係者も多い状況だ。

社会インフラITソリューション 山手線はIoTで保全業務を高度化

 「社会インフラ向けITソリューション」は、先述のように道路やトンネル、鉄道、河川、橋梁などの社会インフラの構築や防災対策も含む維持管理のためにデジタル技術を用いるソリューションを指す。

 社会インフラは建設や維持管理、メンテナンスに膨大なコストがかかる。1960〜70年代の高度経済成長期に作られ、50年以上経過したものも多い。少子高齢化が進み、公共インフラを管理するための公共事業予算の確保が厳しい日本では、老朽化対策として、新設や建て替えより補修や保全の重要性が高い。

 防災については、近年台風や豪雨による洪水やがけ崩れなどの被害が激甚化しており、対策強化が求められている。他方で、建設現場の人手不足と高齢化は深刻な問題となっている。

 国土交通省(国交省)は建設現場の生産性向上を目的としたプロジェクト「i-Construction」によって新しいデジタル技術の採用を促進している。国交省は、企業が開発した新技術の情報データベースとしてNETIS(注3)を運用している。最近では、2020年度から国が実施する直轄土木工事におけるNETIS登録新技術などの活用を原則義務化した。

 投資力のある企業が運営している鉄道や高速道路などでは、既に新技術の採用が進んでいる。JR東日本が運営する山手線の新型車両は、デザインやサイネージの設置などが注目された。IoTという観点でみると、新型車両にはモニタリングシステムを使った状態保全(CBM:Conditon Based Maintenance)技術が搭載されている点だ。

 建設業や土木業にはアナログな業界のような印象があるかもしれないが、業務を効率化して人手不足を補うために多くのデジタル技術が用いられている。最近活用が進みつつあるのは、センサーや画像を使った遠隔モニタリングやAIなどの技術を活用した予防保全、ドローンやロボットの活用といったITソリューションだ。

キャッシュレス決済 キャッシュレス化の促進が日本の課題

 キャッシュレス決済が「注目テーマ3選」に入るのは意外かもしれない。しかし、実際にレポートは非常によく売れている。

 日本のキャッシュレス決済比率はまだ3割で伸びる余地が大きい。先日、矢野経済研究所の社内Web会議で決済方法が話題になった。キャッシュレス決済比率が9割を超える韓国ではどうかと言えば、矢野経済研究所韓国支社の研究員には財布を持ち歩く習慣がないそうだ。筆者はスマホ決済派だが、近所のコンビニに行く時などを除けば外出時に現金が入った財布を持っていく。

 日本におけるキャッシュレスの大半はまだクレジットカード決済だ。近年、QRコード決済(PayPay、楽天Pay、LINE Payなど)やApple Pay、Google Payを使ったスマートフォンのタッチ決済など、キャッシュレス決済の方法のバリエーションが広がっている。さらに、ファーストリテイリングの「UNIQLO Pay」や無印良品の「MUJI passport Pay」など、決済事業者ではない事業者が自社アプリに決済機能を持たせるという新たな動きも進んでいる。

 このように、成長領域でありプレーヤーが多様化していることが、市場への関心の高まりにつながっている。コロナ禍以降、非接触での決済ニーズの高まりやQRコード決済の利用が増加した。スマートフォンを用いた支払いが日常生活に浸透し、モバイル決済のさらなる拡大が見込まれる。

 実のところ、ERPやAIなど筆者の専門分野のレポートも売れ行き上位に入っているが、年の初めなので自身の担当分野の枠を外して、矢野経済研究所のIT調査チーム全体からテーマを選んでみた。メタバースのような注目テーマもキャッシュレス決済のようなすでに身近なテーマも、2023年の社会を変える技術という点で共通している。読者の皆さんにも、デジタル技術がもたらすさまざまな変化を楽しんでいただきたい。

筆者紹介:小林明子(矢野経済研究所 主席研究員)

2007年矢野経済研究所入社。IT専門のアナリストとして調査、コンサルテーション、マーケティング支援、情報発信を行う。担当領域はDXやエンタープライズアプリケーション、政府・公共系ソリューション、海外IT動向。第三次AIブームの初期にAI調査レポートを企画・発刊するなど、新テクノロジー分野の研究も得意とする。



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