内製化に取り組む企業が増える中で、プロジェクトが頓挫する例が後を絶たないのはなぜでしょうか。極端な売り手市場が続く中で、優秀なITエンジニアを獲得するために企業が打つべき手とは。
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IT業界で働くうちに、いつの間にか「常識」にとらわれるようになっていませんか?
もちろん常識は重要です。日々仕事をする中で吸収した常識は、ビジネスだけでなく日常生活を送る上でも大きな助けになるものです。
ただし、常識にとらわれて新しく登場したテクノロジーやサービスの実際の価値を見誤り、的外れなアプローチをしているとしたら、それはむしろあなたの足を引っ張っているといえるかもしれません。
この連載では、アイ・ティ・アールの甲元宏明氏(プリンシパル・アナリスト)がエンタープライズITにまつわる常識をゼロベースで見直し、ビジネスで成果を出すための秘訣(ひけつ)をお伝えします。
「甲元宏明の『目から鱗のエンタープライズIT』」のバックナンバーはこちら
近年、多くの国内ユーザー企業が「内製化」やデジタルトランスフォーメーション(DX)、さらにはレガシーシステムのマイグレーションに取り組んでおり、ITエンジニアの確保に力を入れる企業が増えています。
こうした中で優秀な人材の獲得は困難を極めており、とりわけソフトウェアエンジニアの採用は深刻な課題となっています。
ただし、日本にはITエンジニアが約100万人存在すると言われています。にも関わらず、ユーザー企業ではなぜ慢性(まんせい)的にIT人材不足が言われ、中でもソフトウェアエンジニア不足が課題になっているのでしょうか。
今回はその背景を明らかにしつつ、ユーザー企業が優秀なITエンジニアを獲得しづらい理由に迫ります。
まず、ITエンジニア不足、中でもソフトウェアエンジニア不足が課題になっているのは、ITエンジニアの多くは実装経験が乏しく、コーディングスキルの高い人材がごく一部に限られるからだと筆者は見ています。
特にユーザー企業においては、IT部門やDX部門に所属する人材がソフトウェアエンジニアとしての技能を持つケースが極めて少ないのが実態です。システム開発にはSE(システムエンジニア)も欠かせませんが、日本のSEにはプログラムを書かない、あるいは書けない人が多くいます。
なお、本稿におけるソフトウェアエンジニアとは、単にITの知識を有するだけでなく、実際にコーディングし、高品質なプログラムを自らの手で実装できるエンジニアを意味しています。いわゆるITエンジニアにはSEやインフラエンジニア、PC関連業務の担当者なども含まれますが、これらの職種には必ずしも実装力が求められておらず、コーディングできる人は少ないのが実情です。
このような背景から、ユーザー企業が内製化を推進しようとしても、開発を担うソフトウェアエンジニアが不足しているため、プロジェクトの立ち上げや推進が困難になる事例が後を絶たないのです。単に人を集めるだけでなく、実装力を持った人材をいかに確保するかが、今後の企業のDX推進における大きな鍵になっています。
ユーザー企業がソフトウェアエンジニアの中途採用を進める際、募集要項や求職者向けメッセージとして、次のような文言が並んでいるのをよく見かけます。
- 入社後は新しいITプロジェクトを立案して実行できます!
- 開発現場で思う存分活躍できます!
- 成果が上がれば出世も可能です!
これらは一見すると魅力的に見えますが、企業側の「出世軸の価値観」が色濃く反映された表現です。つまり企業が最大のモチベーション施策だと考えて前面に押し出している昇進や社内での高評価は、ソフトウェアエンジニアにとって必ずしも魅力的であるとは限りません。むしろそのような企業論理を嫌う人の方が多いでしょう。
ソフトウェアエンジニアの眼には、上記のような「入社後に期待される役割」が次のように映る可能性が大きいと筆者は見ています。
- 入社後は新しいITプロジェクトを立案して実行できます!: 新規プロジェクトの企画立案から社内での説得や根回しをしなければならない
- 開発現場で思う存分活躍できます!: 部門横断的な社内調整を実施したり多くの会議に参加したりする必要がある
- 成果が上がれば出世も可能です!: 開発チームでの調整や部員への教育やマネジメント業務をこなさなければならない
率直に言うと、上記の全てのアピールポイントに対して、多くのエンジニアは「面倒くさい」と感じるはずです。
また、多くの企業の人事設計では一定の年齢で役職定年が設定されています。エンジニアから見ると、経験とともに任される仕事内容は複雑化し、自身のスキルは向上しているにもかかわらず、一律で役職定年になる仕組みはモチベーション低下を招くリスクでしかありません。役職定年に対して「そんな馬鹿な」と感じているエンジニアは多いでしょう。
このように中途採用要項における「売り文句」の数々は、スキルを武器に活躍したいと考えるソフトウェアエンジニアにとってはむしろ「やりたくないこと」の羅列にすぎません。
コードを書くことに喜びを見いだす人にとって、社内の政治的な調整や昇進を目指すキャリアパスは、むしろエンジニアとしての人生を妨げるものでさえある――。こうしたことを採用担当者やIT部門、DX推進部門のリーダーは理解すべきです。
多くの日本のユーザー企業では、経営者や部門長は「生え抜き」で構成されており、組織における評価や出世を幸せの指標と見なす傾向が強くあります。
しかし、個人の幸せを企業が保証してくれるわけではありません。企業が求めるのは、あくまで「自社にとって都合のよい便利な人材」です。個人が本当に幸せになれるかどうかは、その人自身の価値観と選択に左右されるのです。
ですから、ソフトウェアエンジニア採用においては「出世軸」ではなく、「エンジニアとしての人生軸」で考える必要があります。その企業でどれだけ技術を磨けるか、自分の作ったプロダクトが世に出る実感があるか、そしてエンジニアとしてどのように成長できるかといった観点が重要になるでしょう。
では、優秀なソフトウェアエンジニアをユーザー企業が獲得するためには、どのような視点や環境整備が必要でしょうか。次に筆者が考える3つのポイントを整理します。
まず重要なのは、エンジニアが「自分のキャリアが伸びる」と感じられる挑戦的なプロジェクトがあるかどうかです。技術的に難易度の高い課題や、新しい技術スタックの導入、影響力の大きいサービス開発などは、エンジニアにとっての大きな魅力となります。逆に、単調で保守的な開発や、経営判断でたびたび方向性が変わるプロジェクトばかりではモチベーションを保つのが難しいことを採用側は理解しなければなりません。
次に、自分が学び続けられる環境があるかどうかが重要です。社内での技術共有や勉強会、カンファレンス参加の支援、業務外での技術活動に対する理解があれば、エンジニアは自らの成長に投資しやすくなります。また、レビュー文化やペアプログラミングといった日常業務における技術的な刺激も成長を後押しする重要な要素です。
もちろん、報酬やインセンティブも無視できない要素です。エンジニアとして高いスキルや経験を持つ人材には、それに見合った報酬を提示することが不可欠だと考えましょう。単に従来通りの年功序列の賃金体系に組み込むのではなく、スキルベースでの評価や成果に応じた報酬体系を構築することが極めて重要です。このような体系を確立すれば、優秀な人材の流出を防ぎ、外部からの採用も円滑になるでしょう。
日本の多くのユーザー企業が直面している「ソフトウェアエンジニア不足」という問題は、単に人数が足りないのではなく、「本当にコーディングのできるエンジニア」が確保できず、生かせていないという質の問題だと捉えるべきです。
この問題を解決するためには、企業側の意識改革が欠かせません。出世や社内評価を軸にした従来型のキャリアパスを見直し、エンジニア個人が「技術者としての人生」をどう歩むかという視点を持つことが、今後の競争力を左右する重要な鍵となることは間違いありません。
三菱マテリアルでモデリング/アジャイル開発によるサプライチェーン改革やCRM・eコマースなどのシステム開発、ネットワーク再構築、グループ全体のIT戦略立案を主導。欧州企業との合弁事業ではグローバルIT責任者として欧州や北米、アジアのITを統括し、IT戦略立案・ERP展開を実施。2007年より現職。クラウドコンピューティング、ネットワーク、ITアーキテクチャ、アジャイル開発/DevOps、開発言語/フレームワーク、OSSなどを担当し、ソリューション選定、再構築、導入などのプロジェクトを手掛ける。ユーザー企業のITアーキテクチャ設計や、ITベンダーの事業戦略などのコンサルティングの実績も豊富。
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