NHKシステム再構築はなぜ“失敗”したのか 「メインフレーム大撤退」時代の課題をひも解くNHKと日本IBMとの訴訟からの教訓(前編)(2/2 ページ)

» 2025年05月30日 08時00分 公開
[室脇慶彦SCSK株式会社]
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特に難易度が高い「Google Cloud Platform (GCP)」への移行

 そうは言いながらも、同じメインフレームであるZサーバーへの移行は、リスクは別にして比較的対応しやすいと筆者は感じている。

 しかし、本件は難易度がさらに高いクラウドへの移行を予定していた。しかも採用されたクラウドは、筆者の見解では「Amason Web Services」(AWS)や「Microsoft Azure」(Azure)よりも移行の難易度が高い「Google Cloud Platform」(GCP)だった。

なお、これはあくまで移行作業の難易度の話であり、GCPを悪く言っているわけではない。むしろ、GCPには先進的で優れた技術が使われていると筆者は見ている。この根拠は冗長になるので割愛するが、GCPはクラウドネイティブなソフトウェア開発に向いているのだ。

 ITシステムのクラウドへの移行は、通常2つのステップから構成されている。

第1ステップ: 「リフト」

 既存ITシステムのデータベースなどの構成を維持しつつ、クラウドの環境に合わせる「クラウド化」を実行する。ハードウェアやネットワークなどのクラウド化により、コスト削減メリットを享受できる。

 ただし、ソフトウェア構造は移行前と変わらず、クラウドが備える機能を十分に活用できていない。クラウドを十分に活用するためには、第2ステップである「シフト」を実行する必要がある。

第2ステップ: 「シフト」

 ソフトウェアをクラウドネイティブなものに完全に作り変えるのが「シフト」だ。全面的な再構築であり、一般的にはマイクロサービスという手法で開発される。

 シフトは難易度が高いが、シフトが実現できなければ、他社とのデジタル競争に勝てないのが実情だ。この辺りについては、筆者の「ITmedia エンタープライズ」での連載でたびたび述べているので参照いただきたい。

 話を戻すと、オープン系のITシステムであれば、例えば「Oracle Database」や「SQLServer」といったデータベースなどのIT基盤の既存の構造を維持して、いったんリフトする。サーバーなどのEOLリスクにまず対応してからシフトする方がリスクは低くなるだろう。

 そのため、日本では既存のデータベースシステムが稼働するAWSやAzure、「Oracle Cloud Infrastructure」(OCI)が優勢だ。GCPは既存のデータベースシステムなどへのサポートが弱い、つまりクラウドネイティブであるがゆえに基本的にリフトせずにシフトすることが求められる。このため、大規模なITシステムの移行先として「難しい」と判断されがちだ。

 従って大企業におけるGCP活用事例は多くない。大規模システムへの適応を経験したGCP技術者の数も、他のクラウド事業者と比較すると少ないと筆者は見ている。

メインフレームからクラウドへの移行難易度は?

 ただ、本件の移行元はメインフレームだ。メインフレームのデータベースシステムをサポートする仕組みは、基本的にどのクラウドベンダーも持っていない。そういう意味で、本来であればリフトではなく最初からシフトが必要な事案だったのだろうと思う。

 最初からシフトする場合、マイクロサービスに適応させるために現行の業務を分析して見直すことが必要だ。その上で、事業全体の抜本的な見直しも必要になる。本件の場合は、NHKとITベンダーが一体となる体制づくりが必要だった。つまり発注者と受注者ではなく、経営陣も含めた新たな関係構築を進める必要があったと筆者は考えている。

 そういう観点から言うと、そもそも事業継続に関わる問題を第三者であるITベンダーに丸投げすること自体いかがなものか、とITベンダーとして長年PM(プロジェクトマネージャー)を務めた筆者は思った。システム開発の失敗によって事業を継続できないのは、日本IBMや富士通などのITベンダーではなく発注者であるユーザー企業自身だ。これについては、以前取り上げた日本通運の件でも気になったところだ。

 ITシステムが経営に及ぼす影響が年々増す中で、ITシステム開発が頓挫(とんざ)すれば、事業継続が危うくなるにもかかわらず、NHKも日本通運もITシステムに対する基本的なスタンスがITシステムが経営に与える影響がごく一部に限られていた数十年前から変わっていない。NHK自身、ITシステムが止まれば事業活動ができなくなると認識していることが訴状から読み取れるにも関わらず(注1)、基幹システムの開発とクラウド移行の責任をITベンダーに丸投げする形を現在も取り続けている。

 実際、2024年には江崎グリコが基幹系システムのトラブルにより、工場がストップして事業の一部が停止した。プッチンプリンなどの製品が一時出荷されなくなったことには筆者も驚いたが、このトラブルが同社の経営に大きな打撃を与えたことは間違いない。

 放送事業は国が指定している社会インフラ事業者であり、国営放送であるNHKのシステム停止がもたらす影響はさらに大きくなるだろう。事業が止まれば、災害時の緊急放送ができなくなる可能性もある。国民の生命や財産に多大な影響を与えるのは必至だ。

「心臓」をいつまで他人に委ね続けるのか?

 こうした観点で見ると、社会インフラ産業を担う事業者がなぜ極めて重要なITシステム構築の責任を外部事業者に委ねるのか、本来自らが責任をもって構築、運営すべきではないかという根本的な疑問が湧いてくる。

 残念ながら現在、ITシステムの重要性を企業の経営陣が十分に認識しているとは言えないだろう。基幹システムの開発やクラウド移行の責任を外部事業者に委ねるのは、人体で言えば心臓を他人に渡すようなものだ。読者の皆さんはどのように考えるだろうか。

 クラウド移行を含むデジタルトランスフォーメーション(DX)ではとかくビジネスの変革や生産性向上といったビジネス目的ばかりが言及されがちだが、もう一つの目的はユーザー企業がITシステムの主権を確立することではないかと筆者は考えている。今回のトラブルを機に、NHKだけでなく、企業の経営層にはぜひ再考いただきたい。

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