オブジェクト指向のソクラテス式対話編オブジェクト指向の世界(21)

今回は趣向を変えて、ソクラテス式対話編でオブジェクト指向を考えてみました。ちょっと不思議な体験がきっかけとなって、池田晶子著「帰ってきたソクラテス」(新潮社)をヒントにしたものです。

» 2007年06月19日 12時00分 公開
[河合昭男,(有)オブジェクトデザイン研究所]

 2回にわたってRUPの基本原則をパターン言語として簡単に整理してみました。RUP2003からRUP7に改訂され、従来の具体的ベストプラクティスはより抽象化された基本原則の中のパターンとして吸収される形になり、RUPの適用範囲も一回り拡大されました。開発プロセスのカバーする範囲は一般的には設計フェイズからであったのがRUPでは要求分野がカバーされ、今回の改訂でさらにビジネスと顧客に近づいた形になり「顧客志向のソリューション提供のためのプロセス」という思想が一段と強まったと感じます。

 今回は話題を変えて、独自のスタイルで一連の一般向け哲学啓蒙(けいもう)書を発表され続け、本年2月惜しくも逝去 された池田晶子氏をしのび、誠にせんえつながら『ソクラテス編−池田晶子氏に捧げる』というタイトルで一文を書いてみました。

[プロローグ]

■ 登場人物

  • ソクラテス
  • ソクラテスの弟子筋の某
  • 司会

司会 本日はオブジェクト指向の世界にお越しいただき誠にありがとうございます。ここは世界をオブジェクト指向という考え方でとらえ、流れ去るものと普遍なものについて考えようという場です。

 オブジェクト指向というのは本来ソフトウェア開発から生まれた考え方ですが、この考え方で世界を眺めると世界が違って見えます。本日はオブジェクト指向の考え方のご批判をいただきたく、両先生をお招きしました。

ソクラテス ソフトウェア? オブジェクト指向? 何のことだか聞いたこともないしさっぱり分からない。理解できるよう努力はしてみるが、オブジェクト指向とやらに直接役に立つようなことは多分あまりいえないだろう。

 同じくです。ただ私は最近まで現役だったから、ソフトウェアというものは専門家ではないけれどそれなりにはイメージがあるので少しは通訳できるかと思います。

ソクラテス 長らくご苦労さまでした。あなたのおかげで久しぶりに地上で魂修行中の人たちにメッセージを送ることができた。例のアテネの裁判で死刑を宣告されたときも、といっても2000年以上も昔の話になるが、魂と肉体は別だから自分は死を少しも恐れなかった。むしろ肉体の死により魂は地上世界より素晴らしい世界に還(かえ)れることだと信じていたから、それを何度も弟子たちにも話したが、最後まで分かってくれた人は本当にわずかだった。

 プラトンが書き残してくれた貴重な著書を熟読していたおかげで魂の不滅を信じていましたが、今回本物のソクラテス様と直接お会いすることができて感無量です。

司会 ソクラテス氏は真善美を説いたことで知られています 。

ソクラテス 美しい花が咲いているとしたらその花のどこかに美のもとが隠れているのではなく、美そのものなるものが人の五感で感知できないところにあって、そこから照射される光がその花に注がれて光り輝く。善そのものなるものから照射される光が注がれているものや人は善です。この光を浴びることができるかどうかは本人の心掛けと行い次第です。そのためにはより善く生きるということです。それがフィロソフィーつまり愛知・知を愛す−本来の哲学です。真なるもの善なるもの美なるものも根源をたどっていけば実は一つなのだ。

司会 地上で生きている人間にはそれは見ることができません。しかしここオブジェクト指向の世界ではそうではありません。

オブジェクト指向の世界

司会 人は物をどのように認識し理解するかは人それぞれで異なります。その物の本質、つまり真なる姿というものは誰にも分かりませんが、人それぞれ自分なりの認識と解釈は持っています。

ソクラテス 「人間は万物の尺度である」とプロタゴラスは唱えた。例えば同じ場所にいながら今日は暑い・暖かいと感ずるか、寒い・涼しいと感ずるかは人により異なる。あなたの感覚は間違っているとはいえない。同じ物を見ても人により認識は異なる。五感で認識できるのは表面的な物だけで、その物の本質をとらえることはできない。

司会 はい、そのとおりです。ところでその「物の本質」というものはどこにあるのでしょう? どうすればとらえることができるのでしょう?

ソクラテス 「万物は流転する」とヘラクレイトスは唱えた。物はじっとしていないで変化する。それをある人があるとき目で見て分かったとしても、時がたてば違った物に変化している。ほかの人がたとえ同じときに見ても「人間は万物の尺度である」から違うように理解する。まして時間も異なれば全然違った物になってしまう。

司会 はい、まったくそのとおりです。では「普遍な本質」というものはないのでしょうか?

ソクラテス 私は自分の知らないことを知っていそうな人に尋ね回って教えてもらうことにしている。プロタゴラスもヘラクレイトスもギリシャ哲学の先輩です。彼らから学んだものは確かにある。しかし結局はやはり納得できない。分からなくなってしまう。

モデルとは

司会 モデルという考え方があります。対象としている物に対する自分の認識を単純化して模型として表します。

ソクラテス それは便利だ。

司会 はい。モデルは絵に描いて表すともっと便利です。自分の認識を模型として表す。「人間は万物の尺度」です。その単純化した模型は流転することもなく、誰がいつ見ても同じに見ることができます。

 ブランドのハンドバッグはなぜあんなに高い。高くても人気がある。だからニセモノが作られる。本物をモデルとしてそれをまねてニセモノを作る。本物はただの絵じゃないから見るだけではなくて触ることもでき、分解して調べることもできる。これもニセモノを作る人にとってはモデルですね。モデルという言葉には見本・ひな型という意味もあります。

ソクラテス では本物は一体何をモデルとして作ったのだろう?

 デザイナーが考えた。想起した。思い出した。こんなハンドバッグ前にどこかで確かに見たような気がする……。

ソクラテス 生まれる前に見た。魂の記憶。

ALT 図1 モデルと製品

知識の結晶

司会 システムはハードウェアとソフトウェアで構成されます。ハードウェアは見たり触ったり五感で感覚できるもの。ソフトウェアそのものは見えない・触れない・五感で感知できない。例えば映画や音楽はソフトウェアです。スクリーンに映っている映像は目に見え、スピーカーから出る音は耳に聞こえる。しかし目で見る映像、耳で聞く音は物理的なものであってソフトウェアそのものではない。人には五感を通してソフトウェアが伝達され、心でそれを観賞 する。

 ハンドバッグも目に見え、触れる物理的なものは表面的なハードウェアであってソフトウェアはその内部に隠れているわけなのね。そのソフトウェアこそがブランドの知識の結晶。そうするとソフトウェアとは知識といえる。

司会 ハードウェアにも素材とデザインがあり、そのデザインが知識の結晶。デザインの裏にソフトウェアが隠れている。

ソクラテス 「知識」とは何かを随分考えてきた。知っていそうな人たちにも尋ねた。いわく「自分の目で見たり、自分の耳で聞いたり、自分の五感で感じて得たものが知識である」。いわく「思っていることが知識である」。いわく「言葉に表せるものが知識である」。しかしいずれも「真の知識」と呼ぶには何かが足りない。さてソフトウェアというのはこの欠けている何かと関係があるのだろうか?

モデル変換

司会 システムを開発するとき、顧客から要望を聞いて要求モデルを作成し、次に分析モデル、設計モデルと変換して最後に製品として作成します。それぞれのモデルはその時点での知識の結晶です。問題はモデルを作るのは「万物の尺度である」人間なので人により異なるモデルができることです。さらに「万物は流転する」ので顧客の要望も当然のごとく流転します。これを無理やり禁止してしまうと最終製品に対して顧客満足は得られなくなり、何のためのシステムか分からなくなってしまいます。

 流行によってハンドバッグでも車でもモデルチェンジされる。ニーズが変わればデザインも変えなければならない。いまの製品に対する顧客の評価をレビューして次の製品に反映させればよい。

司会 これぞまさにオブジェクト指向が得意とする反復型開発です。

ALT 図2 反復型開発

ソクラテス 今回も結局「知識」とは何か分からなかったが、オブジェクト指向の世界ではどうやらその知識とは何かを追求しているらしいと感じた。

司会 本日は「オブジェクト指向の世界−流れ去るものと普遍なもの」を考えるための貴重なヒントをいただき、誠にありがとうございました。


 今回は趣向を変えて、ソクラテス式対話編でオブジェクト指向を考えてみました。ちょっと不思議な体験がきっかけとなって、池田晶子著「帰ってきたソクラテス」(新潮社)をヒントにしたものです。随分昔に買ったこの本を突然思い出して読みたくなり、本棚の奥を探し回ってかなり苦労して見つけだし、寝る前に読み始めました。たまたま本の中に購入したときのレシートが挟まっていたのですが1998年3月に読んで以来9年ぶりに再読したことになります。次の朝、新聞を開いて思わずドキッとしました。朝刊に池田晶子氏の訃報が掲載されていました。昨晩のインスピレーションは誰か続きを書いてほしいというメッセージだったのでしょうか? 引き続き次回も続編を書いてみたいと考えています。

筆者プロフィール

河合 昭男(かわい あきお)

大阪大学理学部数学科卒業、日本ユニシス株式会社にてメインフレームのOS保守、性能評価の後、PCのGUI系基本ソフト開発、クライアント/サーバシステム開発を通してオブジェクト指向分析・設計に携わる。

オブジェクト指向の本質を追究すべく1998年に独立後、有限会社オブジェクトデザイン研究所設立。 OO/UML 関連の教育コース講師・教材開発、Rational University認定講師、東京国際大学非常勤講師。 ホームページ:「オブジェクト指向と哲学



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