“変化”を模索する世界(前編)何かがおかしいIT化の進め方(41)(3/4 ページ)

» 2009年03月26日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

会社は誰のものか、何のために存在するのか

 従来、日本の企業は、長期的視野に立って社員を育て、仕事への意欲や能力を高め、その結果として得られた忠誠心やノウハウ(暗黙知)、技術を高い生産性や品質として実現させ、それを競争力に結び付けてきた。これを可能とするため、経営者は常に外の変化に気を配り、内外の乖離(かいり)を起こさぬよう、業態や業容を変化させていくことにより、会社を存続させてきた。ときにはこれが短期的な機会損失に結び付くこともあったが、米国のように簡単に事業撤退や廃業をすることなく、日本企業の多くが市場にとどまり得た一因であったと思う。

 しかし近年、こうした日本方式の下でスピードを上げる努力より、そっくり外にならう「目先の対応」が多かったように思える。日本の経営者をして、派遣労働という禁断の木の実に手を付けさせたのは、ウォール街流の“強欲”ではなく、グローバル化に伴う国際的なコスト競争であったと思いたい。

 また、市場から有利に資金を調達する「直接金融の時代」といわれる中で、それが株価至上主義を生んだ結果として、総資産利益率や自己資本利益率など、資産や資本の運用効率によって経営が評価されるようになると、長期視点からの安定した経営や、そのための内部留保を厚くする政策は、ものいう株主の標的になったりLBOの対象にされたりする危険もあった。しかし、目先の収益だけを重視する米国式経営では、日本企業の唯一ともいえる強みであった「現場人材力」の低下や喪失を招き、長期的に取り返しのつかない負の遺産を将来に残すことになる。

 「会社は誰のものか、何のために存在するのか」という問題──すなわち「経営理念」が再び問われている。経済だけではなく、文化や価値観にもかかわる問題である。遅ればせながらでも、いま、真剣に考えるべきである。

 今回の経済危機は短期には回復しないだろう。 皆が溺れそうになっているとき、周りの人の頭を抑えて、それを支えにして自分だけ水面に浮かび上がろうとしてもそれは無理だ。一時的には浮き上がっても、やがて周りが溺れれば自分も沈んでいく。

 皆が負担を分かち合って耐え忍び、協力して知恵を出せる体制が何より必要だ。ワークシェアリングなども早急に着手しないと日本の社会がもたない。社外役員を相互に兼ねる米国の経営者たちが、お互いに“お手盛り”で引き上げてきた報酬に比べれば比較にならない水準ではあるが、大手各社がこの10年間、株主総会で議題にしてきた「役員報酬の値上げ」などを率先して見直すなど、経営側の態度が大切だと思う。

 好業績は「自分の手柄」、赤字は「不況のせい」では世間(=消費者)の理解も、頑張る社員からの協力も得られない。いま、「自己責任」「成果主義」という言葉はリーダーである経営者にこそ求められる言葉だ。日本にとって望ましい会社の姿を描き、日本の文化のよい部分を守れるように、会社法などを含め、広く法制度を見直す必要があると思う。問題は、労働者派遣法だけではない。

日本も加担した米国の金融バブル

 さて、再び世界に目を転じてみよう。今回の金融、経済の危機を「米国発」として、日本を一方的に被害者のように扱う論調がなお続いている。 しかし、2000年代、米国や欧州の住宅バブルを作り、サブプライムローンなどの金融商品、さらに穀物相場や石油市場に流れ込んだ投機資金は、オイルマネーと並んで、日本の長期にわたる低金利政策によるものである可能性が少なくない。

 日本で低金利で借り入れた資金の相当量が「投機資金」として海外に流れ、デリバティブや石油や穀物の商品先物市場へ投入されたといわれる(注3)。結果的にバブルの燃料であるお金を供給するという、兵たん業務(ロジスティクス)を行っていたわけだ。インド洋で海上自衛隊が米国に供給した燃料のいくばくかが、直接イラク戦争に使われたかは定かではないが、今回の経済危機を「米国発」で済ませてしまおうとするのは、「日本はイラクの戦闘には参加していない」とする論調に相似たところがある。


注3: ヨーロッパでは低金利のスイスの資金も中欧や南欧に流れ、建設や住宅バブルを作ったといわれる。


 日本国内では、低金利でも設備投資や研究開発投資に銀行からお金を借りる企業は少なく、景気の高揚効果は低かったが、低金利によってもたらされた「円安」は、自動車やAV製品など、輸出産業には未曾有の利益をもたらした。さらにこの間、新興国のインフラ投資に必要な資材を製造する、重厚長大産業がよみがえり日本経済を支えた。

 一方で「戦後最長の景気上昇」といいながら、それが経済に必要なことと考えられたゆえか、かつて景気回復の途上で金利を上げて「回復を中折れさせた」との批判を思い出したゆえか、あるいは経済団体の意向を考えたのか、米国の要望があったのか、とにかく裏で何があったのかは分からないが、結果的に事実上のゼロ金利政策は継続された。

 その結果、過去数十年間「米国が風邪を引けば、日本は肺炎になる」などと揶揄(やゆ)されてきた海外依存の経済構造はさらに強まり、国際競争力強化と企業収益に結び付いた労働者派遣自由化による人件費の抑制・削減政策は、国内消費を低迷させ、内需拡大の掛け声とは逆の方向へ走らせる結果にもなった。

ティータイム 〜グローバル化で難しくなる、定額給付金の使い方〜

 いつものことながら、金融や財政などの経済政策には、「常に変化していくグローバル化の状況下にある」という視点が欠落しているように思えてならない。


 国境のバリアがあった従来の経済社会なら、経済政策は国内で完結し有効に機能し得た。しかし、グローバル化した今日、国の施策は国内にとどまるが、経済の担い手である企業の活動は国境を越えて自由に動き回る。その結果、国内で使われるはずのお金は容易に海外に流れてしまうし、逆に国内を引き締めても、海外からのお金の流入で政策効果が出ないといったことが起こる。 こうした厄介な事態を招くのもグローバル化の一面である。グローバル化した世界の中では、よほど意識して視野を広く持っておかないと、思わぬ結果を招くことになる。


 「世界で協調してこの危機に当たろう」と、世界の首脳や財務大臣、中央銀行総裁などが申し合わせをした。しかし、例えばEUは統一通貨を持ちながら“Union”としての行動ができず、各国がそれぞれの立場を優先させた行動に走る結果となった。「各国が協調して」ということは、「言うは易く行うは難し」であるようだ。 投機マネーなど、実体経済以外が極端に膨らんだ現在、新しい考え方が必要な事態に直面している。しかしわれわれは、グローバル化した経済をコントロールする方法をまだ見出せないでいるのが現状なのだ。


 グローバル化の影響で、思わぬ結果を招きかねない事態を、身近な例で考えてみよう。少し前まで定額給付金が問題になっていた。当初は生活支援だった目的に、景気浮揚策が加わった。 その景気回復寄与へのロジックを考えてみる。


 例えば、定額給付金を懐に、家族でレストランに出かけたとしよう。こんな客が増えればレストランの売り上げが増え、アルバイトでも従業員を雇おうということになる。雇用が増え、このアルバイトで収入を得た人は、かねてからほしいと思っていたものをどこかで買うとする。レストランは料理に使う材料の購入を増やす。仕入先の食品卸の売り上げが増え、従業員を増やす。その従業員も、得た収入でどこかで買い物をする。


 食品卸は農家からの野菜の仕入れを増やす。農家は増産に励み、肥料を買い増す。肥料会社は売り上げが増え、増産のために設備投資を考える──このように、1つの消費がネズミ算のように方々に次々と波及して、最終的に元の消費の数倍の経済活動(波及効果)を誘発する。ただ、各段階で各関係者が得た収入増加分を消費や投資などに回せば、結果的に乗数効果は大きくなるが、途中で誰かが貯金に回せば、そこで資金の流れは止まり、効果もそこで止まってしまう。十分な乗数効果、つまりは景気回復への効果が発現されないということになる。


 定額給付金や公共投資などの財政政策は、カンフル注射のようなものである。これらが相当の規模と適切なタイミングで実施されて、先行きに不安を持っていた国民や企業が「周囲に活気が出てきた」と感じて、今度は自らが消費や投資に前向きになっていき、それが景気回復に結び付いて初めて目的を達成する。しかし規模や内容、タイミングが適切でないと単発効果に終わったり、政府頼みの構造ができ上がり、景気維持のために公共投資を継続しなければならない体質に陥ったりする。あるいは、景気が回復して懐が豊かになると財布のヒモが緩みがちになり、歯止めがかからなくなったりする。


 役に立たない箱物投資は、そのときだけ関係業界は潤うが、維持経費というマイナス効果を発生する不良資産となり、後々かえって経済全体の足をひっぱる存在になる。だからこそ「投資対象の選定」が重要な課題なのだ。


 話はそれるが、過去の公共投資の結果生じた、国や地方自治体の膨大な借金がよく問題になっている。しかし、もしこれらの投資が、将来も投資に見合う価値を生み続ける優良資産に対するものであったなら、大きな問題ではない。現在の日本の問題は、多額の借金と、それによる効果を生むどころか、維持経費というマイナスの効果を毎年生みだす多大の不良資産を抱え込んでしまったことである。各社でITコスト削減への圧力がかかっているが、無駄な公共投資を批判する目で、過去のIT投資を振り返ってみた場合、IT関係者はその内容に胸を張れるだろうか?


 話を定額給付金に戻す。グローバル時代ならではの問題がある。 もし、あなたがレストランで、かねてより目をつけていたフランスワインを注文したとすると、お金はフランスに流れ、税金でまかなわれた2兆円の1部はフランスに流れ、日本ではなくフランス経済活性化のために使われることになる。家族分を合わせてパソコンの買い替えをすれば、日本より中国や台湾経済を助けることになるかもしれない。しかしこうした考え方は、自国産業を輸入製品から守る(そして広い目で見れば経済を停滞に向かわせる)「保護主義」の発想につながる──給付金を何に使うかを考えるだけでも難しい世界になった。



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