なぜあの人にはうまく話しかけられないのか、なぜ集団の中にいると言い知れぬ不安やいら立ちを覚えるのか?――あらゆる局面で、あなたの気持ちや判断を左右している「人生脚本」に原因を探れば、もっとポジティブに毎日を送れるようになるはずだ。
前回『幼いころの“構ってちゃん”が仕事や人生の邪魔をする』までの5回の連載で、心の栄養「ストローク」を軸としたTA理論の全容を解説してきました。最終回となる今回は、これまでにご紹介してきた理論を基に「人生脚本」という概念をご紹介します。
全ての人は生まれた後、親や周りの人間とのコミュニケーションを通じて「人生脚本」を書くと言われています。これは幼少期の「自分はこう生きるのだ」という筋書きです。人は幼いころに描いた脚本を基に、人生のあらゆる場面で決断を下しながら生きていくわけです。
TAを提唱した精神科医、エリックバーンは人生脚本について次のように定義しています。
脚本とは、人生早期に親の影響の下に発達し、現在も進行中のプログラムを言い、個人の人生の最も重要な局面で、どう行動すべきか指図するものである
「幼少期に描き、なおかつ現在進行中のプログラムが、全員にある」と言うと、少し信じがたい気持ちになるかもしれませんが、実際に私たちが人生のあらゆる局面で下す決断は、「幼少期の親との交流」によって描いたこの「人生脚本」に沿ったものなのです。
脚本には、「勝者の脚本」「平凡者の脚本」「敗者の脚本」があります。
これらに対し、平凡者の脚本は「まぁほどほどでいい」というものです。破たんするような人生を選ぶこともありませんが、自分らしい自発的かつ自律的な人生を歩んでいるとも言えません。
では、これを基に実際の社会を見渡してみるとどうでしょう。若年層の自殺が多かったり、働き過ぎて病に倒れたり、コミュニケーションをうまく取れない人が増えているということから、勝者として生きる人は、ほんの一握りで、ほとんどの人が平凡者、もしくは敗者の脚本を持っていると言えます。
平凡者、敗者の脚本を持つ人は、ほしいものを素直に欲しいと言わなかったり、「我慢しなくては」とか、「○○しなくては」「○○でなくては」というプレッシャーを感じながら、思い通りにならない壁にぶち当たり、落ち込んだり、無力感を感じたりしています。
自分が何かしようとすると邪魔が入る気がする人もいますし、嬉しいことがあっても、心から喜ぶことに申し訳なさを覚える人も多くいます。「喜んではいけない」「調子に乗ってはいけない」「喜んでもすぐにしっぺ返しを食らうに決まっている」「楽しんではいけない」「どうせ自分は○○だ」というように、自分自身の脚本に沿って自ら可能性を排除してしまいます。
「○○は才能があっていいよね」と、人をうらやむものの自分では何もしない人や、「どうせ私なんて」と自分の価値を過小評価する人もいます。これまでの連載でお伝えした例で言うと、“ゲームを演じてしまう人”“プラスのストロークを素直に受け渡しすることに違和感がある人”、“自己に否定的、他者に否定的な心理的ポジションに移ろいがちな人”は思い当たる場面があるのではないかと思います(詳細は第4回『“生き方の癖”が分かれば、仕事も人生も改善できる』、第5回『幼いころの“構ってちゃん”が仕事や人生の邪魔をする』を参照)。自分の思うように生きられない人は世の中に非常に多いのです。
それが悪いこととは一概には言えませんが、自分の思う人生を生きられないのであれば苦しいですよね。自由に動いている他の人たちがうらやましく思えてしまうこともあるでしょう。しかし、そうした行動や思考パターンは、幼少期における親や周りの人間とのコミュニケーション――すなわち、「どうやったら目上の人(親や大人)からストロークをもらえるだろうか?」と幼少期に考えた末に下した「決断」によって形作られたものなのです。
すなわち、人生脚本とは「どうやったらストロークをもらえるか?」と考えた末に下した“幼少期の決断”のことであり、これが人生のあらゆる局面で、その行動や思考の傾向を大きく左右しているのです。心理学理論、TAではこれを「幼児決断」と呼んでいます。
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