男達の休息
どさっ!!
伊東との電話を終え、受話器を置くと、坂口は椅子の背もたれに身を投げ出すように天井を見上げた。
伊東の整理したというシートは、現場で作成したとは思えない細かい、正確な内容で、さすがの坂口もここまでやるとは想定していなかった。部下の成長に坂口も思わず笑みを浮かべる。
壁の時計の針は21時を回っていた。今日の稼働状況ミーティングも終わり、名間瀬もつい先ほどオフィスを出たようだ。
早朝からいままでオフィス内を走り回り、合間に電話を掛けて指示を出し、息をつく暇もなかった。当然、昼食を取る暇もなく、合間に水分補給をするのが精一杯だった。
坂口 「とにかく、スタートできたんだ……」
誰もいないオフィスでそう呟くと、そのまま天井を見つめた。
初日は確かに問題もあったが障害はなく、無事に営業を終えることができた。ビジネスに成果が現れるのはまだまだこれからだが、プロジェクトマネージャとしての大事な役目をまた1つ終え、坂口は安堵のため息をつき、目を閉じた。
プロジェクトがスタートして1年3カ月。毎日無我夢中で過ごしてきた。でもその中で大切なものを手に入れた。
坂口 「(亜希子さん……。やっとスタートしたよ……)」
ピーッ
ドアのICカードリーダーの音に坂口はギクっとして後ろを振り返った。
名間瀬か伊東が忘れ物でもしたのだろうか? それとも何かトラブルがあって、八島が報告に来たのか……。
豊若 「よう」
豊若が片手を上げて、そうあいさつをしながら入ってきた。珍しくシャツの袖をまくっている。左腕のZENITHが蛍光灯の灯りに反射してキラリと光る。
坂口 「豊若さん!」
豊若 「お疲れ。いやぁ、俺も今日は慌しくてさ。シャツをまくり上げるなんて、久しぶりだよ。ところでもう上がるんだろ? だったら、一杯どうだ?」
坂口 「え? あ、はい! ぜひ!」
40分後、2人は恵比寿のバーカウンターで肩を並べていた。
坂口 「僕は……。ビールをお願いします」
豊若 「その愛社精神、見上げたもんだな。あはは……。俺はマッカランのロック、ダブルで」
やがて2人の前にグラスが並び、2人は杯を交わした。坂口はビールを一息に喉に流しこむと、ふぅーっと溜息をついた。
豊若 「とにかく大きな問題がなくてよかったな。初日を終えた感想はどうだ? プロジェクトマネージャさん」
坂口 「はい、おっしゃる通り、大きな問題が出なかったことは本当に何よりです。最も、現場サイドと解決をしなければならない課題がたくさん出てきてもいますが……」
豊若 「そうだな。しかし、こういっては何だが、すべてが完ぺきなプロジェクトは絶対にない。そういう課題が出てくるからこそ、PDCAサイクルが成り立つんだよ。課題意識は改善の重要なインプットだからな。まぁ、とにかく動き出したからにはもう止められないさ」
坂口 「はい、まだまだこれからですから。ところで、今日は誘ってくださって、ありがとうございます」
豊若 「ははは。まぁ、そういうなよ。戦士にも休息は必要ってことさ」
2人は杯を重ね、プロジェクトの思い出話に花を咲かせた。気が付くともう時計の針は12時近くなっていた。
豊若 「さて、そろそろ帰るか。また明日もあるしな」
坂口 「えぇ、そうしましょう」
豊若 「もう遅いけど、彼女にメールでも送ってあげたらどうだ? きっと待ってるぞ。ここは俺に任せて、ほら」
坂口 「え、いや、でも……」
豊若 「たまには年寄りのいうことも聞いて損はないぞ」
坂口 「では、お言葉に甘えて」
スツールを降り、携帯電話を片手に坂口は出口へと向かっていった。豊若はその後ろ姿を見ていたが、何かを振り切るように視線を離すとカウンターの中にいるバーテンダーに話しかけた。
豊若 「俺のボトル、彼に引き継いでもらってもいいかな。坂口っていうんだけど。いい奴だから、ここに来たらまたうまい酒を飲ませてやってほしい」
バーデンダー 「あの方、昔の豊若さんと雰囲気が似てらっしゃいますね。でも豊若さん、いったい……」
豊若 「おっと、それ以上は勘弁」
ストップの合図に熟練のバーテンダーはかしこまりました、とそれ以上何も聞かず、新しいボトルホルダーを取り出すと豊若のボトルに取り付けた。「SAKAGUCHI」の文字がライトに照らされて揺れる。
豊若はごちそうさん、とスツールを降り、携帯電話に向かってメールを打つ坂口の方に向かう。
豊若 「(しっかり受け取ってくれよ。あの酒、結構値が張るんだからな)」
そうつぶやいて、坂口の肩に手をかけた。
豊若 「さぁ。明日からまた戦場だぞ!」
◆次回予告◆
何とか新システムの本番稼働を成功させた坂口たちは、つかの間の慰労会を開催する。しかし、その裏では専務佐藤の陰謀や、業界再編の大波が押し寄せてきているのだった……。次回をお楽しみに。
筆者プロフィール
シスアド達人倶楽部
「シスアド達人倶楽部」は、経済産業省が実施する情報処理技術者試験の1つ、上級システムアドミニストレータ試験の合格者9名で構成される執筆チーム。本連載「目指せ! シスアドの達人」は、シスアドの日常を知り尽くしたメンバーが、シスアドの働く現場をリアルに描くWeb小説だ。
執筆メンバー9名は、上級システムアドミニストレータ試験合格者と試験合格を目指す人々で構成される任意団体:上級システムアドミニストレータ連絡会(JSDG)の正会員。
三木 裕美子(みき ゆみこ)
日本システムアドミニストレータ連絡会正会員。 銀行勤務
- 一番つらくて難しいのは“根回し”
- そして、次のステージへの旅立ち
- 人生を揺るがす人事異動
- そして、運命の稼働日
- 最後の難関、経営会議に挑む
- システム移行はトラブルだらけ
- システム入力をサボるやつに使わせる方法
- ライバルにアドバイスをもらうずうずうしさも必要だ
- 本当につらいときに支えになるもの
- 頑固オヤジを口説くには美人広報を使え
- “人を使う”ということの難しさ
- それは仕様です〜ユーザーvs.システム部門開戦
- 気安くバグって言うな! 妥協とプライドのはざまで
- 仕事人間がもらったすてきなクリスマスプレゼント
- 仕事に生きた男の悲しい物語
- 予想以上に成長する後輩と、大御所との出会い
- 自己中な最低主人公、そしてヤシマ作戦発動!
- 明らかになる専務の陰謀、そして救世主現る
- 情報漏えい発覚と、未熟さに気付き身を引く女
- 試験に合格したものの、上級にふさわしくない坂口
- 責任を押し付ける上司と、泥沼の四角関係
- 戦う女のほろ苦い過去と、副社長の苦悩
- シスアド試験前の休息、猛アプローチ始まる!(第6話)
- 坂口に恋のライバル出現〜相手は電車男!?(第5話)
- 鍵はリーダーの力量と気になるお姉さまの魅力(第4話)
- 高過ぎる“部署の壁”と好きなのにすれ違う2人(第3話)
- ワガママほーだい幹部の調整に苦しむ坂口は……(第2話)
- 敵は大企業にはびこる縦割り組織と恋の距離感(第1話)
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.