西田 「いま、何とおっしゃいました?」
西田は布袋にもう一度確認した。
布袋 「いちコンサルタントの採否に、社長である私が口を出すのもいかがなものかと思うかもしれない。しかし、豊若はいま、ホテイビールの中では『サンドラフトに雇われたスパイ』といわれているのだよ。そんな奴が新会社設立に携わるとあっては、今回の業務提携に反対する者たちの格好の攻撃材料になってしまうのだ。ここは私の顔を立てて豊若を外してはもらえないか」
西田 「豊若のコンサルタントとしての実力は抜群です……。それに彼がスパイなどとは馬鹿げた話ですな。一体、何を根拠にそのような話になっているのですか?」
布袋 「ああ、彼の活躍はあんたからもよく聞いていたが……。おたくとうちの社員の中にどうも胡散くさい動きをしている者がいるようなのだ。広がってしまった噂をなかったことにするのは難しいものだ……。あんたもそれは分かってくれるだろう?」
そこまでいうと、布袋は押し黙った。西田はしばらく考えてから、意を決して口を開いた。
西田 「事実確認はしますが、今回の話は豊若を外すことが条件だということなのですね」
布袋は、西田の問いかけに黙って頷いた。
西田は赤坂雅亭を出て、待たせていた専用車に乗り込むと、すぐに豊若の携帯電話に連絡をしてみたが、発信音が延々と聞こえるのみで連絡がつかなかった。
西田 「弱ったことになったわい」
翌日から西田は社内のメンバーを使って豊若の噂の出所を調査し、2日間でおおむね事実関係を把握した。そして、西田は一晩考えた末に、豊若を新会社設立プロジェクトのメンバーから外すことを承諾したのだった。
新システム開発プロジェクトの盛大な打ち上げ会が終わって、1週間が経過していた。
IT企画推進室のメンバーは、初期保守が一段落したのもつかの間、新業務プロセスの定着のために坂口が企画したシステム研修会の準備に多忙な日々を送っていた。
伊東 「坂口さん。さっき、なんか携帯が鳴っていましたよ」
会議から自席に戻ってきた坂口に伊東は声をかけた。
坂口 「ああ、そうか……」
坂口は、自席に放り出したままの上着のポケットから携帯電話を取り出した。ディスプレイには「着信あり」と「メッセージあり」の2つの表示が出ていた。
発信者は、マキシム・アンド・コンサルティングの松嶋だった。留守電には短いメッセージが録音されていた。
松嶋 「松嶋です。坂口くん、急いで伝えたいことがあるの。電話ください。お願いします」
坂口は、いったい何だろう、と思案を巡らせながら、松嶋に電話しようとした。そのとき、机上にある内線電話が鳴った。
坂口 「はい、IT企画推進室、坂口です。あ、西田副社長……。はい、分かりました。すぐにうかがいます」
坂口は23階の西田副社長の執務室へと足早に向かった。執務室の重い扉を開けると、西田は1人で在室していた。
西田 「お、来たか! パチパチ、ピッでドーン、見事だったぞ。まぁ、そこに座りなさい」
西田は坂口をソファーに促すと、自分もどしりと腰をおろした。
坂口 「ありがとうございます。西田さんに支えていただいたおかげです。それに、多くの素晴らしい仲間に恵まれました。先日の打ち上げ会でも、プロジェクトに協力していただいた現場の方々がたくさん駆けつけてくれました」
西田 「そうか、それは良かった。今回のプロジェクトでサンドラフトは変わり始めたよ。坂口、君の功績は大きい。心から感謝するよ。ありがとう」
西田は、ひと呼吸置いて続けた。
西田 「坂口、いまから君に異動の内示をする」
坂口 「えっ! 内示ですか!?」
予想外の話に驚いた坂口だったが、すぐに背筋を伸ばして天を仰いでいった。
坂口 「お願いします!」
西田 「うむ。坂口、君にはホテイグループと共同で作る新しい物流会社の設立準備会社に、企画調査部の課長として出向してもらう。2週間後の来月1日付けだ」
坂口 「新しい物流会社ですか?」
西田 「そうだ。われわれサンドラフトはホテイビールと業務提携して、物流部門を再編成する。お前の上司は、ホテイドリンクの園村さんだ。彼が企画調査部の部長になる」
坂口 「……ということは、サンドラフトとホテイビールは経営統合するということですか!?」
西田 「まあ、そう話を急ぐな。まずは物流部門のBPR(Business Process Re-engineering)だ。ホテイドリンクの先進的なビジネスモデルは坂口もよく知っているな。あのビジネスモデルを、今回リリースしたサンドラフトの新システムと融合させて、次世代のロジスティクスを作り上げるのだ。うまくいけばサンドラフトとホテイグループは一緒になれるし、いずれはユウヒやキラリを抜き去ることができる。ワシは、この会社を世界に通用する総合食品流通会社に育てていこうと考えているのだよ」
坂口は、西田から唐突にホテイグループとの業務提携の話を持ち出され、すぐには反応する言葉が出てこなかった。
西田 「君は、今回のプロジェクトで、サンドラフトのセクショナリズムに風穴を開けてくれた。これからサンドラフトは変わる。ホテイの良いところを吸収して、どんどん強くなるのだ。そのための第一歩となる新会社のポストを君に用意した。思う存分やってくれ。内示は以上だ」
坂口 「承知しました! 頑張ります!」
坂口は立ち上がり、深々と頭を下げた。
坂口 「ところで、IT企画推進室の私の後任はどなたに……」
西田 「IT企画推進室は、情報システム部に吸収されることになる。事実上解散だな」
坂口 「本当ですか!? 西田さんはそれでよろしいのですか?」
西田 「ワシはな、組織はどんどん形を変えていくものだと思っておる。坂口、君や伊東、名間瀬が学んだことを新しい組織の連中に叩き込んでくれれば、サンドラフトの変革は続いていくのだよ」
坂口 「IT企画推進室の解散は、佐藤専務のお考えでは?」
西田 「確かにIT部門の人事権は佐藤が握っておる。佐藤はサンドラフトのCIOとして、IT部門の機構改革を決定する権限があるのだ。しかしな、坂口、ワシらはもう次のステージに進まなければならんのだよ。佐藤はワシがしっかり監視するから変なマネはさせん。佐藤を外すのは簡単だが、いまのサンドラフトで彼の代わりが務まるやつもおらんというのが現実だ。君は新しいフィールドで存分に飛び回れ。そこには佐藤の力は及ばせん」
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