2003年で、生誕20周年を迎えたファミコン。その歴史は、同時に絶え間ない訴訟で、著作権を勝ち取ってきた歴史でもあった。
1月27日、テレビゲームの展覧会「レベルX」の関連セミナー、「ゲーム文化の発展における著作権の役割」で、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)の久保田裕専務理事が登場。ファミリーコンピュータを巡る、過去の訴訟事例などを紹介した。
テレビゲームの歴史は古い。久保田氏は、家庭用テレビゲーム機が誕生したのは1972年のことだと紹介する。1978年には、タイトーが「スペースインベーダー」を発売する。
しかし、当時は“プログラムの著作物の保護”が、著作権法に明記されていないという状況だった。その中で起きたのが、無断複製アーケードゲームの問題だ。1982年にはタイトーが原告となって違法コピーを訴える、「スペースインベーダー パートII 事件」が起きた。
この訴訟で、東京地裁はコンピュータプログラムを「著作権法上保護される著作物に当たると認められる」との判断を下す。これが事実上、「ゲームの法的手続きの最初の一歩」だったと久保田氏は紹介した。
その後、1983年にはファミリーコンピュータが発売される。ここで問題になったのが、ナムコの発売した「パックマン」の著作権をめぐる訴訟。いわゆる「パックマン事件」だ。
これは、都内の喫茶店「マイアミ」を経営する企業が、パックマンの違法複製物を「違法に上映している」として、ナムコが損害賠償を請求したもの。“上映”という言葉が気になるが、ナムコはパックマンを「映画の著作物」に該当するとして、上映権を主張したわけだ。
そして、ナムコ側の主張は認められる。「(パックマンの映像は)……映画の効果に類似する視覚的効果を生じさせる方法で表現されている」(東京地裁の判決より)。
「あんな、黄色いキャラクターがパクパク動く単純なゲームが、映画の著作物として認定された。ゲームが工業製品ではなく、文化的にクリエイティブだ、アートだと認められた、意義深い判決だ」(久保田氏)。
その後、1985年には“プログラムの著作物”が、著作権法に明記されることとなった。
時は過ぎ、2001年には興味深い訴訟が発生する。PlayStation用ゲームソフト「ときめきメモリアル」(ときメモ)の著作権侵害をめぐった、いわゆる「ときめきメモリアル事件」がそれだ。
ことの発端は、福岡市内のゲーム機器業者が販売したメモリーカード。ユーザーがこれを利用すれば、主人公の男子高校生の“能力値”(パラメータ)を変更することが可能で、それゆえに望みの女子高生と恋に落ちることができるというものだった。
「ゲームが下手で、それでも藤崎詩織ちゃん(編集部注:ゲーム内の登場人物)から愛の告白だけは受けたい、というユーザーにニーズがあった」(久保田氏)。しかし、このメモリーカードを販売する行為が、著作権侵害とみなされたのだ。
原告であるコナミの主張は、次のようなもの。「制作側は、苦心してゲームバランスを調整している。『ここで苦労してほしい』という意図を持って、道筋を考えているものを、ぶちこわされてしまうことになる。これを法的に規制できないだろうか、ということだった」(同氏)。
そして、最高裁は2001年2月13日に判決を下す。その内容は、メモリーカードの使用が「当該ゲームソフトを改変し、その著作者の有する同一性保持権を侵害する」というもの(記事参照)。久保田氏は、「メモリーカードが、専らゲームソフトの改変のみを目的とするものだった、という点もポイントになった」とコメントした。
いずれにせよこの判例は、後にゲームの同一性保持権を主張する上でゲームメーカーの強力な味方になった。「例えば、春麗(編集部注:格闘ゲームの登場人物)が裸で戦うようなソフトが出回った時も、同様の判断(=同一性保持権の侵害)が下っている」(関連記事:デッドオアアライブの訴訟)。
ほかに、前出の“藤崎詩織”が性行為の対象となるようなビデオが、著作物の改変行為として認められた事例もある。「ゲーム制作者にすれば、『娘を暴行されているようだ』とのことだった」(同氏)。
現在、ゲームをとりまく環境は1983年当時と比べ、大きく変化した。ゲームソフトはネットワークを通じて、瞬時に不特定多数の人間へ違法に転送できるようになった。そして、著作権者側が法的手段をもってこれに対抗する、という構図は変わらない。
京都府警ハイテク犯罪対策室と五条署は、2003年11月にファイル交換ソフト「Winny」と用いて著作権侵害を行ったユーザーを摘発した(記事参照)。この際に公開されていたのは、ゲームボーイアドバンス用のゲームソフトだった。
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