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“個体認識の可能性”からデジタルコンテンツを考える(1/3 ページ)

» 2004年10月25日 11時34分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 10月14日に掲載された津田大介氏との対談は、大きな反響を呼んだようだ。文中でもblogの可能性に言及していることもあって、この記事は多くのblogにリンクされた。ざっと検索しただけでも、これだけのサイトがヒットする。

 今回の対談がブロガー魂にヒットした部分はいろいろあるようだが、やはりタイトル通りCCCDに対する感想が多い。普段からの筆者のコラムの読者層とはまた違った、音楽ファンの方の意見をたくさん拝見できたのは、思わぬ収穫であった。

 これは個人的な方針なのだが、筆者は掲示板や個人の方のblogにコメントを書き込むなどのリアクションをすることはない。その理由は、ちょっと誤解を招かずに説明するのが難しいのだが、それは筆者がマスコミの側の人間だからである。

 マスコミという形で表に出ているというのは、時にはヤラシイもので、こちら側から書いた意見が、例え個人的な意見であっても、否応もない正当性を持っているかのような錯覚を与えがちだ。公開の場で論を交わすには、相手にとってはあまりにもアンフェアな条件であろう。

 そんなわけで普段筆者は、たとえblogで悪口を書かれたとしても反論せず、ただじっと砂嵐になったテレビだけがポツンと付いた真っ暗な部屋の片隅で放心しながら、ひざを抱えてドナドナを歌うのみなのである。

個人認証の現状

 本来ならば、くだんの対談に対するご意見に対してもリアクションすべきではないのだが、筆者の言葉が足りずに誤解されて話が一人歩きしている部分もあるようなので、今回だけは特別に、ちょっと言い訳がましいことを書かせて頂くことにする。

 後半のほうで筆者は個人認証についての将来性みたいな話を持ち出しているが、それに対して津田さんが住基ネットで切り返されたのでどうも面食らってしまって、ちゃんとした説明ができなかった。だがよく考えてみれば、「個人認証」という単語で住基ネットを連想するのは、非常にノーマルな反応であろう。

 筆者があのとき言いたかったニュアンスを後々考えてみると、どうも「個体認識」といった方が良かったのかもしれない。「個人認証」という言葉の印象を悪くしている住基ネットは、やはりもともと住基ネットの導入そのものが、あまり深く議論されないまま踏み切られたという経緯がある。単なる11ケタの番号によって個人情報がネットから引き出されてしまうという懸念は、今でも残っている。

 個人認証と個体認識、大して変わらないと思われるかもしれないが、今後は個人認証の脆弱性を個体認識で補うということを考えていく必要があると思っている。

 例えば銀行のキャッシュカードを例にすると、あなたの口座を守っているのは、そのカードに記された磁気情報と、4ケタの暗証番号に過ぎない。そのカードの本来の持ち主が誰で、今そのカードを握っているのは誰か、ということは全く関知していないので、仮にカードと暗証番号が他人に盗まれたら、それは預金の引き出しを止める手段はなくなるわけだ。

 レベルとしてはほとんど、チャリンコのチェーンキーの暗証番号と同じである。番号さえ知られてしまえば、誰がその番号を入力しようとお構いなしに開いてしまう。

 クレジットカードの場合はもっと簡単で、店頭での買い物ではカードそのものと、カードの裏にあるサインと同じものをグリグリっと書くだけで済んでしまう。店員がそのサインとカード裏のサインを子細に見比べている様子は見られないし、カードの持ち主として本人確認を求められることはほとんどない。

 これらのシステムは、既にわれわれの生活の中で、ごく日常的に使われているものである。そのカードがホンモノであるかどうか、どの口座とつながっているか、あるいは利用限度額がいくらなのかという個人情報はネット経由でチェックされているが、そのカードを持っているのが本人であるかどうかの確認はなされていない。

 米国でわれわれ外国人がクレジットカードを使うときには、必ず写真付きの身分証明書の提示を求められる。原始的な方法ではあるが、一応本人確認のプロセスが存在するわけだ。

個体認識とは

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