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対談 小寺信良×津田大介(最終回)――著作権問題に、解決の糸口はあるか?特集:私的複製はどこへいく?(3/4 ページ)

» 2004年11月10日 15時17分 公開
[渡邊宏,ITmedia]

日本人は、デジタル技術に「憶病」

津田:デジタルの技術が発展しているのに、ビジネスモデルは変わっていない。それは放送も音楽も、コンテンツ業界すべて同じなんですね。技術は進歩しているのに、どう対処していけばいいのか分からなくて、みんな立ち止まっている。じゃあ、その技術がどこに注ぎ込まれているのかというと、目立ってるのは“コピーの防止技術”ばかり。技術がそうした方面にしか使われていないってことはすごく不幸なことですよ。

 本来デジタルって「ユーザーに便利さをもたらしてくれるもの」だったはずだし、デジタル化によっていろいろな可能性が見えてきたのに、「あれ? なんで不便になってるんだろう」っていう。デジタルによってユーザーの楽しみ方だって変わったんです。変わったのに、それは自由すぎるからダメだよと。コンテンツのコピーをコントロールできないからダメだよとか。なぜか規制する方向にしか、デジタルの技術が使われていない。

 

小寺:デジタルが幸せだった時代というのは、あったんです。でも、それはコピーの問題が顕在化する前の話。

 CDにみんなが飛びついたのは、アナログのようにカートリッジで音が変わるであるとか、ターンテーブルはベルトドライブに限る(笑)だとか、そうしたことがなくて、CDを買ってくればとりあえずあるレベルの品質は保証されているという“夢のデバイス”だったからです。

 メディアがデジタル化され、クオリティが均一化されるということは大きな恩恵だったんですけれど、そのなかでコピーしても劣化しないという側面も浮かび上がってしまったわけですよ。いま、デジタルのメリットとしてはコピーしても劣化しないということだけが重視されていますけれど、本来はもっと素朴で、アナログだと大変だったことが楽になるということなんです。

津田:レコードからテープにダビングする時、40分のアルバムは40分かかりました。それが今なら10分でできる。そう言う話ですよね。

小寺:コンテンツって、結局のところコピーしながら作られるんです。番組にしても撮影テープがあって、そこからダビングしながら編集していくわけです。文字を入れるにも、音を入れるにも、ダビングしていくわけで、映像コンテンツとはダビング技術のかたまりなんです。デジタル化することによって、コンテンツのクオリティがすごく向上したという一面もあるんです。

 制作側にとってはデジタルは強力な武器になるんです。これまでは3回コピーするのが限界で、本当はもっと手を入れたいのにあきらめていたということもありました。その制約がなくなったことで、クオリティ低下を気にしないで編集作業を続けられるようになりました。

津田:デジタル技術によって、制作に打ち込める労力や時間が増えたということですね。

 話は変わりますけれど、最近はオンラインでのDVDレンタルも増えてますよね。あれはもともと、米国で登場したビジネスです。むこうは考え方も進んでいて、確実にヒットが見込める作品については、配給権を持っている映画会社がレンタル業者にマスターを渡して、レンタル用にはDVD-Rに複製しろ、と言っているんです。

 日本の場合、基本的にはマスターをレンタル業者に購入してもらう。それって無駄ですよね。米国はとても現実的で、「コピーしても構わないから対価を支払ってほしい」という考えが浸透していると思うんです。なぜ、日本は憶病になってしまうのでしょうか。

小寺:米国の、経済的にOKならばGOという考え方が日本にはなくて、技術的にヤバそうなものはすべて禁止してしまいますよね。先の見えないところには手を出さない、というニュアンスを感じますね。こんなこと言うとアレなんですけど、われわれやっぱり封建制度を長い間受け入れてきた国ですから、お上の裁きをすごく気にする体質というのも、根底にはあるのかなと思ったりします。

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