前回のコラムをきっかけとして、もはや死語と化した「パソ通」に思い入れのある方が、blogなどを通じてそれぞれの思いをつづっていたようだ。筆者もそのいくつかを拝見して、あの同じ時代を共有した方々に、えも言われぬ親近感を覚えた。今回はその続編というわけではないのだが、個人的なノスタルジーから行なった、ある試みをご披露したい。
筆者がパソコン通信デビューを果たしたのは、おそらく1993〜94年ごろのことだと思うが、当時、パソコン通信には音楽用として1990年に購入した「Macintosh SE/30」というマシンを使っていた。それ以外に所有していたパソコンといえばグラフィックス用のコモドール「AMIGA 2000」だけだったので、日本語が打てるパソコンがMacしかなかったのである。
それ以前は、パソコンを使う使わないの如何(いかん)にかかわらず、まったく文章などを書いたことはなかった。つまり筆者が実質的に文章を書くようになったのは、Macが最初だったことになる。
Macというのは過去も現在もいろんな意味で非常にユニークなマシンだ。今どきコンピュータ一式買ったら、マウスとキーボードぐらいは標準で付いてくるものだが、当時のMacはマウスは標準品で、キーボードは別売であった。それだけマウスを使ったGUIだけで動く、という自負があったのだろう。
だがそのキーボードが高かった。やや小型のApple標準キーボードが、当時で1万5千円ぐらいしたのである。昔はキーボードが高かったとはいえ、当時の水準、あるいは当時の物価で考えても、これは相当高いシロモノであった。もっとも本体のほうがそれ以上に目玉が飛び出すほど高かったのだが。
SE/30はだいぶ前に電源基板の劣化で燃えてしまい、今はない。後継のMacを買い直しても、キーボードだけはそのまま使い続けた。メインマシンをWindowsに乗り換えるなど紆余曲折を経て、Mac関係で現在手元に残っているのは、結局のところ15年前のキーボードのみである。
さっさと処分してしまっても良かったのだが、またいつかMacを買うこともあるかもしれないことを考えると、特に壊れてもいないものを捨てるのも忍びなかった。だがそうこうしているうちに、Mac本体のほうが独自のADBというインタフェースではなくUSBになってしまい、もはや新しくMacを買ったとしても、つなぐところがないというマヌケな状況になっていたのである。
前回のコラムを書いた後、懐かしくなってこのキーボードを引っ張り出し、掃除などしてみた。日本語キーボードだが、配列が変わっている。記号キーの位置が、英語キーボードと同じ、いわゆるアスキー配列なのである。当然、変換キーや無変換キーなどもなく、ついでにFキーまでもなく非常にシンプルだ。10キーまで付いてこの絶妙なサイズ感のキーボードは、今はない。
そんなことを考えているうちに、改めてもう一度このキーボードで何か書いてみたい、という妄想に取り付かれてしまった。これを実現するには、選択肢は2つある。中古のMacを買い直すか、Windowsマシンにこのキーボードをつなぐかだ。
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